17回目の誕生日


 明日、もとい既に今日だ。3月 23日は僕の一人息子の誕生日。とは言っても 9ヶ月目の時点から会った事は一度も無いので、今も生きているのかどうかさえ分からない。あえて調べようとも思わない。もし、ちゃんと生きていれば 17歳になるし、仮に進学していれば春から高校 3年生だ。さらに進学を希望しているとすれば受験生でもある。
 この画像は生まれた日の翌日、富士市立中央病院の産婦人科病棟での一コマ。出産直後に会社を早退して見舞いに行った際にも少しだけ会っており手にも触れてはいたけれど、この日が初めて息子を腕の中に抱いた時でもある。

 息子の事は何度も無理に忘れようとしたけれど、どうしても僕には出来ない話だった。両親から受け継いだ僕の遺伝子。その半分を持った人間が、この世に一人だけは存在しているっていう事実は消し去り様が無い。毎年 3月のこの時期になると、我知らず考えていることに気づかされる。
 だから 1年前の 3月にブログを立ち上げたのも、何かの偶然で息子の目に止まる日が来るかもしれないと考えての事。これから先も僕から会いに行く事は無いであろう息子宛に、間接的であれ何らかのメッセージを残しておくのは別に悪い事では無いだろう。これが息子への「誕生日のお祝い」だ。
 しかし、昨年は「東日本大震災」の直後だったこともあり、ショックで前もって考えていた息子宛のメッセージも頭の中から消し飛んでしまった。個人ブログとはいえインターネット上に公開している以上、あの時期にあまり私的な事を書くのもはばかれたし、気分的にも消沈していたから息子宛のメッセージを残すのは控えた。

 もちろん、もう 1年も経ったのだから私的な事を書いても良いだろうと言うのではなく、たった 1年しか経っていないのだが、この 1年は特に「家族の絆」を意識せざるをえない状況だったとも言える。僕と息子の場合、とっくの昔に全ての絆は切れてしまっているかもしれないが、もしかしたら細い糸が 1本だけで残っているかもしれない。だったら、その 1本の絆の為にメッセージを残しても良いだろうと考えた。
 協議中、親権を放棄する代わりに息子宛に 11年後の中学入学時に読んでもらえる様にと手紙を書いて残そうとしたが調停員の人からも渡す事は無理でしょうと言われ、郵送をも考えたが受け取り拒否で戻ってくる可能性が高く結局出せず仕舞い。こうしてインターネットで公開しておけば、万に一つ息子が探し当ててくれる事もあるだろう。

 そういった事で、今の僕には「家族の絆」とよべる人々は両親と兄弟と父方の親戚筋以外には無い。しかし、親や兄弟、親戚に支えられ、それ以外にも近所の人や、お客さん達にも支えられながら今日も生きている。
 県内に特にこれと言った仕事も無く、年齢制限もあって定職にも就けない身でありながら、今日も飢え死にせずに生きていられるのは、単に「家族の絆」というより、もっともっと広い「人のつながり」のお陰である。
 必ず回りには心優しい人々が居て、その人々が僕を支えてくれている。お陰で僕は毎日を感謝と幸福感に包まれて過ごしている。本当に「皆様のお陰様で」今の時を生きているのである。それもこれも飼犬と一緒に家の外に出て初めて気がついた事ではあるのだが「求めよ。さらば与えられん」の本来の意味は、この事を言うのだと気がついた。自らの意思で「自分の殻」から外へ出ていかなければ「救いの手」の機会は与えられないと言う事を。

 僕がこれまでに身につけて来た技術を必要としてくれる人がいて、彼らの依頼により業務を受けて報酬を受け取っている。どんなに小さな事であっても、自分を必要としてくれている人がいる事は、この世に在る事を許されている事と同じだ。たとえ小さな事でも、顔の見えない誰かの為に無理をして仕事をしている時よりも、本当に自分を必要としている人の顔が見える、今の環境で仕事のできる喜びは何物にも代え難い。
 人は自分一人だけで大きくなった訳じゃない、直接的にせよ間接的にせよ、本当に沢山の人に支えられ助けられて生きている。自分以外の人々に感謝する気持ちを忘れない事、それだけ伝えられれば良い。

 だから、あえて「今」の内に、残せる「言葉」は残しておこうと思う。これまでの様に、先へ延ばし延ばしにしておくよりも、少しでも早い時期の方が息子の目に留める機会も増えると言う物だろう。
 そして今、コレを書くと言う事は、かつて僕自身がそうだった様に、もしかしたら息子がどこかで自身の生きる理由や生まれ出た意味を探しながら、手探りで生きているのかもしれないという予感もあるからだけども。

 宮崎に帰って来た当時、未練たらしく息子の誕生日ごとに「プレゼント」を用意し何度か宅配で送ろうとして迷っていたが、息子の手には絶対に渡らないだろうという知人の忠告もあり 4年目に思い直して止めた。
 そうして 5年目で吹っ切れたと思っていた。芳明の存在が、いかに自分の中で重くのしかかっていたかを自覚した時でもあったけれど、もう、その荷物を下ろそうとは考えない様にした。事実は一つだけ。しかし、真実は人の数だけある。渡せないまま処分も出来なかった 3つの変色したプレゼントは今でも僕の手元に残っている。

 息子が 10歳になった頃、富士通勤務時代から親友になった友人の結婚式に出席するために東京に出る機会が会った。その機会に静岡県内に住む多くの友人達と久々に再会した。
 沼津の実家へ息子へのプレゼント用に 2冊の本を持って訪問したが、時間的にも学校から家に戻っているとも思えずプレゼントの本をポストに入れただけで引き返した。よく後から考えてみれば実家に住んでいる保証も可能性も何も無かったのだけれども。

 だから 2冊の本が息子の手に渡ったかどうか、僕には知る術は無い。
 息子へのプレゼントに選んだのは、実際に僕自身が小学校の 3〜 4年生の時期に読んで強い感銘を受けた
星の王子さま」と
だれも知らない小さな国
である。

 特に「大切なものは、目には見えない」というキツネの口を使って語られる言葉は今でも深く心に残っている程だから、自分に子供が生まれた時は、その子にも絶対に読んで欲しいと願っていた本だった。
 もう片方の本も、主人公「セイタカサン」が少年の時に、たった 1度だけ見た出来事を心の中に宝物として忘れないでいた事が、その後の「小人」達との交流に元になったという話。
 男であるならば「少年の頃の願望」を、大人になって誰にも言わないでも良いから自分の大切な宝物として心に持っておいて欲しいと強く願う。

 同じ男の性を持つ者として 50年間生きて来た自分の経験上言える事。「少年の頃の願望」それは自分自身の存在を示す大切なアイデンティティー (Identity)の柱となるものだ。代わりを見つけられないまま願望を捨てる事は、自分で自分の存在を否定する事にもつながる。今の世に自分に自信が持てない男性が多いのは、もしかすると子供の頃から自己否定を何度も繰り返してきた、その結果なのかもしれないと思う事が有る。
 僕は心理学者でもなんでもないから自分の体験を通したフィルターで周りの人々を観察した結果として、そのように感じてるだけで正しいとは言えはしないけれども「当たらずとも遠からず」だと勝手に思っている。

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