久々に一気読みをしてしまった。


 以前に電子出版で出ていた書籍が、このほど印刷本になったと知人に紹介されて興味半分で読んでみた。月初めに Amazonに注文してから半月以上、なかなか手元に届かなかったので痺れを切らしてしまいましたが…
 昨日 11月28日の昼過ぎに本が届いて週末にでもゆっくりと読むつもりでいたのに、遅めの昼飯を食べながら、なにげなく開いて第1章に目を通したのがいけなかった。そこから一気に読んでしまい、気がついたら既に夕方の5時を回っていた。面白過ぎます。続きが気になって最後まで読んでしまうって一体何年振りでしょうか。最後まで印象に残ったのは、ソフトクリームと、ガス欠の車の例え。なるほどなぁって思った。

 おそらく僕が、この本の中でも、とっても難解であると紹介されていた ACIM の原書やガイドブックを手に取る事はなさそうだけれども、自分に中に根強く残っていた疑問のいくつかは解けたような気がする。
 この世の中が、こんなにも生き難く、これほどにも息苦しいのか、そして「奇跡」とは、目の前の海が割れたり身体が光に包まれたりするもんじゃないって事も。目の前の山積みの問題があたかも何事も無かったかの様に消えてしまう事は無いってことも十分に理解出来た。

 なぜ僕が「スピリチュアル」って言葉が大嫌いで過剰に反応するのかも判った。確かに「偶像の神様」に対して嫌悪感が走るのは当然の反応なんだという事が判ったんだ。自分自身の中にある、理由も判らないけど「それは間違っています」って感じる「そういった反応」にも、ちゃんと意味が有ったんだなぁって判る。
 それなのに僕自身が「神は居る」んじゃなくて「神は在る」って知っていたのか。それはパワースポットって言葉を知る、ずっと昔から、山や川に居て何かがいる気配、厳かだけど怖く無いって感覚を覚えた時のこと、危機一髪で命拾いをした時とかに自分が何か暖かい大きな存在に守られていると感じる時とか、多かれ少なかれ、おそらく誰にでも有ると思う。

 この本の中で言う「聖霊」が、その人それぞれに一番合った方法で道を示してくれるけど、それに耳を貸すか貸さないかを決めるのは本人しだい。あくまでも自分が選択した責任は、あくまでも自分自身であるっていうのが素晴らしい。確かに進む方向は教えてくれるけども、ハンドルを握っているのは自分自身だって所が重要だ。
 これは今年 51歳になった僕が、先日レンタカーで沖縄の道路を走った際に、最新カーナビの GPSが指示する通りに行くか。学生の頃にバイクで通学した 30年前の記憶を元に走るのかに似ている。結局どの道を選ぼうが道の状況に応じて瞬間の判断が必要って所は同じだけ大切だ。しかし 30年前とはすっかり道路も風景も変わってしまっていては、どれだけ快適に目的地に辿り着けるのかは、誰の目にも明らかだろう。もっとも人工衛星は誰の頭上にもあるけれど、ソレ以前にカーナビみたいな GPS受信装置を持っているか否かって部分が大きいかもしれないけれど。

 ただ GPSの精度が高いかどうかって言うのは、例えば 3Gよりも LETの方が信号が強くて反応も速いっていうのと同じ様に、自分自身が GPSである「聖霊」をどれだけ信頼しているかどうかに左右されるって部分なんだろうな。
 例え、どんな道を選んで進んで行っても、それは選んだ自分の責任であって、他の誰にも責任を押し付ける事が出来ないっていう事が判ったし、仮にどんな道を選んでも、いつだって GPSがその場に応じた新しい道を教えてくれるのと同じ様に、自分自身が見捨てられる事は決して無いってことを知っただけでも収穫だった。そして間違った道を選んだとしても「それは単なる間違いだから赦してあげる」という大らかさも嬉しかった。

 これ以外に、本を読んで解った事は ACIMとは「(天国へ向かう)数ある方法の内の一つ」という名が示している通り、誰にでも受け入れる事の出来る方法では無いから「どうぞ自分に合った方法を選んで下さい」と、初めから読者に判断を委ねて強制していないところだ。
 紹介されているコースに賛同するか、或いはワークをやる、やらないも、全て個人の判断に委ねられているらしい。そしてワークとして実践方法を載せているだけで、それが最善の方法だとは一言も言っていないらしい。事実、作中の V氏が紹介している方法も、ある部分に関しては V氏が聖霊と共に作った創作だとはっきり述べられている。おそらく十人十色と言う様に、一人一人に合った方法という物が存在しているのだろう。

 感じるに、どうやら ACIMの中で言う「神の教師」という言葉は、どちらかというと、単にその道(コース)を「先に歩き始めた」という意味での文字通りの「先生」という意味らしい。実践してみて、その結果がどうであったかを、後から同じ道を歩く人の為に自身の体験を示すだけの意味で、厳密には「教師」ではなく「ガイド」に近いらしいってことだ。
 その意味で言うと、著者も作中の V氏も「後から同じ道を歩く人」の為に、実に見事な「ガイド」をしているって良く判る。選ぶのは、それを聴いた我々自身だってことなんだ。

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4 Responses to 久々に一気読みをしてしまった。

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