18回目の誕生日


 今日は僕の一人息子の誕生日。とは言っても 9ヶ月目の時点から会った事は一度も無いので、今も生きているのかどうかさえ分からない。あえて調べようとも思わない。もし生きていれば 18歳になるが、どこかですれ違っても僕には息子だとは分からないだろう。仮に浪人もせずに進学していれば来月からは新 1年生だ。
 この画像は 9月の上旬で生後 5ヶ月と 2週間ほど経った頃。自分で寝返りが出来るようになったのが嬉しくて、楽しくてクルクルと回っていた頃のもの。ひとつ所にちっともじっとしていないで目が離せなくなった時期だった。

 一時は、息子の事も無理に忘れようとした。が、出来なかった。元々 2年前の 3月にブログを立ち上げたのは何かの偶然で息子の目に止まる日が来るかもしれないと考えての事。今更、僕から息子に会いに行く事は無いだろうし、息子が僕の所に来る可能性も万に一つも無いだろう。今は、それでも構わないと思っている。
 この先、一度も会う事も無いだろう芳明に伝えたい事はひとつ。結果として僕らは別れてしまったけれど、当時の僕と妻だった年上の女性との間に生まれた子供は、僕が自分自身の存在以上に人を強く愛していた、その結果として「望まれた存在として、この世に生まれた」という事実だけだ。それだけ伝えられれば目的は果たせた事になる。

 今でも自信を持って言える事は、当時の妻だった年上の女性を誰よりも深く愛し、理解していたのは僕だけだったと信じている。当時ほど「自分の命よりも相手の方が何倍も大切な存在」だと強く思っていた時期は無い。
 だから僕の息子は、時期的には、ほんの一時だったにせよ、僕が妻だった年上の女性を心から深く愛した結果としてこの世に生まれて来たと深く信じている。

 一緒に暮らす事が出来たのは、予定日よりも 1ヶ月半も早く生まれ体重がギリギリ未熟児一歩手前だった息子が、母親よりも 3日遅れて退院してきた 4月 1日から年末までの 9ヶ月間。僕なりに哺乳瓶で授乳したり紙オムツを替えたり、一緒に風呂に入ったり昼寝をしたりと、心から楽しんで関わって過ごしたから後悔はしていない。もちろん、まだ「イクメン」という言葉も無かった頃である。
 もっとも正直な所、僕にとって息子との触合う時間が貴重で楽しかったから喜んで息子の世話していただけで、妻だった女性のためでは無かったとも言える。

 あの当時、彼女の性格を誰よりも知り抜いていたのは僕以上にはいなかった。結局、僕が妻だった女性を誰よりも深く理解し、愛していたが故に離婚するしか方法は無かった。相手の良い所も悪い所も全て飲み込んで、それでも信用しようとして努力していたが、精神的にまだ幼な過ぎたが故に「他人の人格を愛情だけで改善できる」と甘く見ていた僕は、恐ろしく「惨忍なしっぺ返し」を食らっただけなのだろう。
 さだまさしが歌った「関白宣言」の歌詞「幸せは二人で育てる物で、どちらかが苦労して繕う物では無い」の意味を痛いほど理解できたのは、離婚してから 5年が過ぎた頃だったが、今にして思えば離婚は必然だったのだろう。まだ相手に対する愛情は残っていたけれども、もはや一片の信頼も寄せる事ができなくなった相手との同居は難しい。それでも息子と過ごせた 9ヶ月は、僕自身にとって貴重な体験が出来たと思っている。

 だからと言って「会いたいか」というと、今では「その気」は無い。その感情、あくまでも「会いたい」と願っていたのは僕だけの一方的な「ワガママ」でしかなく、息子にとっては迷惑でしかないと判っているから。
 だから万が一にも可能性は低いにしろ、息子の方から僕の所に「会いたい」と来た時であれば、僕は逃げも隠れもせず、飾る事も見栄を張る事も無く、ただありのままの今の姿を息子の前にさらけ出すだろう。例え僅かな結婚生活の時でも、そうであったように。別に、今更、息子に対して恥じる事でもないからさ。

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