お情け無用。愛さえあれば。

IMG_0709 思うに犬に限らず、動物には人間の「情」ってのは理解できない。第一、犬には自分自身に向けられた「可哀そう」っていう人の勝手な憶測など受け取れるはずがない。
 例えば「足が無くって可哀そう」だとか「怪我して痛そう」だとか「お腹を空かせて可哀そう」とか、或いは「体が小さくて(大きくて) 大変だねぇ」とか、人間が勝手に思い込んで向ける「情」に、犬自身が反応することは無い。
 逆に、人から向けられる「好」や「嫌」などの「感情」には敏感に反応する。おそらくストレートな「感情」エネルギー以外のモノを理解することは無理なんじゃないだろうか。
 その意味では、ずっと昔に流行した「同情するなら金をくれ」って感覚に近い。即ち「同情するくらいなら愛をくれ」っていうストレートな感情を人に向けているのだ。

 犬には「好き」か「嫌い」かのニ者選択のみで、その中間っていう感覚は無いみたい。もし犬が自己中心的な生き物であれば「嫌い」だけど「我慢」するっていう状況は、おそらく成り立たない。
 しかし、我家や近所に住む飼犬の様子を観察している限りにおいて、それで「飼主」が「喜ぶ」ならば「好き」になろうと「努力」するように見える。犬にとって「自分の好み」よりも「飼主の喜び」の方が優先するらしい。

 犬に限らず、他の動物も「悲しみ」や「苦しみ」の「感情」には反応するらしいが、犬は特に強い反応を示すそうだ。海外での犬を使った観察では、飼主が不在で同じ部屋の中に見知らぬ人がいても、その人が突然泣きだしてしまうと、それまで関心も示さす夢中になって遊んでいた犬でも、泣いている人の側にそっと近づき、まるで慰めるかのように前足を泣いている人の体にかける動作をしたそうだ。
 自分に向けられる「同情」には反応しないでも、他者の「悲しみ」には反応すると言う。これを単に本能と呼んでしまうには、あまりにも優しく、そして有難い所作ではないか。

 だからこそ 1万年以上もの間、人の近くに犬は寄り添い続ける事ができたのだろう。犬の場合、人と違って一度でも「好き」になったら「好き」以外には在り得ない。犬が他者に向ける感情は、人とは異なり「嫌い」っていう感覚ではなく「不信」って感覚で、そこから転じ、一度「信頼」したなら決して裏切らないし、相手から裏切られる事が有るとは微塵も思ってもいない。
 短い一生を不安の中で過ごすより信頼しあえる仲間と寄り添って生きたいと願うのは、何も犬だけに限った話ではないが、そうでなければ、とうの昔に我侭な人類に愛想をつかして、別々の道を歩いていたに違いないって思う。

 そんな飼犬から「飼主」に向けられる「信頼」に応えるにも、せめて自分の「飼犬」だけでも守り続けて欲しいと願う。飼犬の寿命は長くても 10〜20年しか無く、飼主が事故や病気にならない限り必ず先に死んでしまう命だ。
 人の一生のうち 1頭の犬と一緒に居られるのは、平均寿命 80歳を超える人の側から見れば、わずか 1/4以下。そんな短い時間でも犬にとってソレは全て。人の 4倍のスピードで歳を重ねる犬には、それが彼らの一生なのだ。

 無関係な相手となら無理な事でも、それを負担と感じない範囲で良いから、飼犬を「愛犬」と呼び「愛」を与えて欲しい。人とは違っていても「大切な仲間」であると認識し、犬の個性や主体性を尊重しながら、互いに信頼し合える関係で絆を深めて欲しい。一時的な損得勘定で簡単に仲間を裏切るような人 (飼主) に成らないで欲しい。
 だから「仲間を裏切らない」という、小さな約束も出来ないならば、絶対に犬は飼ってはならないと、僕は思う。

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