犬との信頼関係を築くには?(その 1)

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 先週で我が家に秋田犬「小町」を引き取って、丸 3年の期間が過ぎた。ちょうど良い機会だから、引き取った頃の事を思い出し、まとめてみようと考えた。
 僕自身、犬と共に暮らすには「犬との信頼関係」を築く必要が有ると考えているが、小町との関係を振り返って、いかにして築き上げたかを書いておこうと思いついた訳だ。

IMG_1107 今日を含め、全 3回に渡り、子犬の頃から一緒に暮らした「アリス」との関係ではなく、引き取りを決めた時点で既に成犬として 1年 2ヶ月が経過していた秋田犬「小町」との具体的な例を挙げて、どのようにして僕自身が「信頼関係」を築いていったかを述べてみたいと思う。
 ただし、これから述べる事は、あくまでも「僕」と「小町」との間にあった体験であり、全ての人と犬の場合に当てはまるモノではない。あくまでも個々の関係はケースバイケースで異なり、仮に全く同じ様に実行したとしても反応は異なる。結果に対する責任は負えないので、その点あらかじめご承知おき下さるよう、お願いする。

 犬との共同生活を送るに当たって、真っ先に必要となる重要な事は、人と犬との「信頼関係」の有無である。これは使役犬だろうが家庭犬だろうが関係なく、そこに大きな違いは無い。
 そもそも信頼関係が無い状態では犬を使役するどころか制御する事さえ叶わない。表向きには例え飼主であろうとも、犬から敵意を向けらていれば、その結果として攻撃を受け「犬に咬まれる」事故は発生する。犬にしていれば「飼主だから」という意識は微塵も無い。

 以前にも述べたが、犬に限らず動物は自身に向けられる「感情エネルギー」に強く反応する。彼らが理解できるのは、自分に向けられた「好」か「嫌」かの二者でしかなく、それ以外に対しては「不信」感を向ける。それは野生に限らず、生き物として自然な態度であり、生きていくためには必須の能力である。そして元来、犬は臆病な動物なので、他の動物に比べても用心深い質である。
 それに、わずかでも飼主の心に犬に対する怯えがあると、犬から馬鹿にされる結果になる。犬に限らず、どんな動物でも、わずかな隙を突いて生存競争で「群れの中でも優位な地位に立つ」のは生きる上で、自身の死活に直結しているから「生き物」として自然な態度であり、そこに他者に対する遠慮や配慮は存在しない。

 人社会のルールとして、犬は「器物損壊」の様に「物品」扱いされるのが常ではあるが、本当に「物」扱いするような飼主であったなら、決して慣れる事は無い。もちろん飼主として信頼する事も無いから、命令に従うことも無く、隙あらば飼主に噛み付いてでも逃げ出そうとさえするだろう。恐怖では「犬の心」は制御できないのである。
 ソコまで極端な飼主は居ないと信じたいけれど、これまでで良く聞く話としては、飼主本人は犬を可愛がっているツモリでも「犬が慣れてくれない」と言う、愛情の上滑りが発生していることも実際には存在する。

 子犬であろうと成犬であろうと、人から犬へ対して「確かな愛情」がそこに在るならば「信頼関係」を築く事は難しい事では無い。しかし、単に飼主自身が「可愛がりたいから可愛がる」だけや「厳しく躾を入れる」だけで信頼関係は築けるものではない。
 意図せずに犬が嫌がる事を強いているので(本人は自己満足である事に気がついていないから質が悪いのだが…)可愛がっているのに、肝心の気持ちは犬には伝わっていない。犬の方は必死に我慢しているのに、そこに気づいてやらないのは飼主というより、本当に無意識に取っている「人の傲慢」としか言いようが無い。それでは、犬の側からしたら「苦痛」な体験しか残らない。

 犬に寝場所を与え、食事を与えたり、散歩に連れて行くから信頼されるという訳でもない。いくつもの命令に従うから信頼されている訳でもないのである。もちろん、それは基本事項であり最低限の前提条件ではあるが、恐怖支配では、隙をついて逃げる。人社会にだって「円の切れ目が、縁の切れ目」という事が往々にして有るではないか。
 そもそも、きちんと「信頼関係」が成立していれば、犬に対して「絶対的な服従」を強いる必要性は無く、犬は「全面的に信頼している」証として自らの無防備な姿を曝してくれる。
 僕自身、犬との共同生活とは、基本的に互いが「仲間」として相手の存在を認め合うことから始まると考えている。そうでなければ「群れ」の中に血族以外の構成員がいる場合でも、時には「群れ」自身が「飢え」に遭いながら「群れ」が消滅することも無く、構成員が行動を共にする理由は見つからない。

 もし他人とのコミュニケーションが苦手で、上手に信頼関係を築けない人であったとしても、一度、犬との信頼関係を築くことができたなら、自分でも気がつかないうちに他人とのコミュニケーションが円滑に出来てる事に気がつくかもしれない。それくらい犬と人との感情の揺れは似ている。
 犬との確かな信頼関係が築ける事が出来たのなら、無意識に、人の痛みや気遣いが出来るようになった「成長した自分」に気がつく事があるだろう。そもそも、相手の事を考えない「一方的な感情」の「押しつけ」や「押し売り」は迷惑なものであり、結果として人にも犬にも嫌われる事になる。

 飼犬を、どのような性格にするかは、その殆ど全てといって良いほど飼主の影響が大きい。よく勘違いされることではあるが、元々の気質や親犬の性格、遺伝が影響する部分も無い訳ではないが、飼主や環境が与える影響に比べたら、問題になるほどの事はない。せいぜい多くても 1割 10%程度である。
 どのような性格になるにせよ、良くも悪くも「飼主」が、そのように飼犬を飼育した結果であり、それが気に入らないから犬を処分する等というのは、本来であれば言語道断なのではあるが、飼主が無責任に飼犬を要らないと言えば、まるでボロクズのように捨てられる。それが人社会に生きる「物品」扱いされる犬を含むペットの悲しみ。本来「霊長類」である人は「命」を預かるという責任を、軽々しく扱わないで欲しいと切に願う。

 秋田犬を引き取ったのは 3年前の 2010年 7月 7日の夜のこと。秋田犬を車のカーゴルームに乗せて我が家に着いた時は、既に午後 10時を回っていた。
 家の中に入れる前に「アリス」と共に近所を散歩した。我が家としては、いつも通り「寝る前のトイレ」の習慣ではあるが、もちろん秋田犬は知るはずも無い。散歩にも慣れていず、初めての場所というのもあり、おっかなびっくりであったが無視し、リードを引き着いて来させた。

IMG_1166 先に断っておくが、秋田犬の引き取りを決めたのは、先住犬である「アリス」が秋田犬を受け入れたからである。実際には僕自身が、最初から引き取り手のいない秋田犬を迎え入れるつもりで「アリス」と逢わせた。
 既に「僕」と「アリス」の間には「信頼関係」がしっかりと根付いていたので「アリス」にしてみれば、我が家のリーダーである「僕」の意思に黙って従ったというだけかもしれない。
 犬同士の相性というものは確かに有るのだが、犬目線で判断すれば己が信頼している「群れのリーダー」の意思は最優先事項なので、とりあえず個々が抱く感情は二の次なのである。

IMG_1112 成犬として引き取った時、犬は「群れのリーダー」により「新しい群れ」に「招き入れられた」と認識している。
 犬は、その群れに属するか、離れるかを、しばらく群れを観察した後に決める事にしているらしい。俗にいう「お試し期間」ってやつである。
 その秋田犬自身が「小町」となり、我が家の一員となる事を秋田犬自らが認めるまで、本当に群れのリーダーたる資格があるのか、実際には「秋田犬」による厳しい観察の目に「僕」自身が曝される事になる。
 僕自身が飼主であるというよりも、犬の目線から見て「我が家という群れのリーダー」として「秋田犬」が尊敬するに値する、ブレのない確固たる姿勢と一貫した態度を取っている事が重要だった訳である。

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One Response to 犬との信頼関係を築くには?(その 1)

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