オッサンだったら犬と暮らそう(その 4)

komachi_01 前回から約半月ほど開けての続きの話題なので、とうに忘れられているかもしれないけれど、まぁ、良いじゃないか。細かい事は、あまり気にしないことにしよう。
 オッサン、特に「独り者のおっさんほど犬を飼った方が良いよ〜 ♪」っていうのが今回の趣旨。その 2の 1。
 なお、ココで話題にしているオッサン = 中年男性とは 31~59歳代の男性の中で、今なお一人暮らしをしている独身男性のこと。( 31歳以上 60歳未満)

 そしてこれは、日本の片田舎に住む独りモンのオッサンが見た、出来れば「こうなって欲しい」っていう、一つの夢物語。叶うか叶わぬか、それは判らない。
 それでも「人は人以外の存在にも優しい生き物である」と願っていたい。日本の片田舎に住んでいる独りモンのオッサンにも、それくらいの夢は見てもいいだろう。

 まっ、何の根拠も無いけれど、独り身のおっさんほど犬を飼うと良いことが在るよって事なんだ。ありていに言えば「犬と一緒に居れば、少なくとも今よりも幸せになれるかも知れないよ」って事なのさ。

中年独身男性が犬を飼う事に依って得られるであろうメリット (その 1)

  • 今より、暮らしが賑やかになる。

     別に一緒に暮らすのは「犬」に限る必要は無い。それは「猫」であっても良いのだけど、やっぱり玄関先で「お出迎え」してくれるのは、圧倒的に「犬」の方が多いと思われるので、それだけでも癒やされること間違いなしだろうと思う。
     例え「ただいま」の言葉に「おかえりなさい」と言葉で返すことは出来なくとも、その全身で喜びを顕にしている犬の姿を見るだけで、その日 1日の疲れも吹き飛ぶかもしれない。
    (そうなるまで 1年 〜 2年半の間に信頼関係と、きちんとした躾がされているか否かが問題になるかも…)

     犬の世話をすること。どうやら家の中に自分以外の存在があると、人は手前勝手に過ごすことが出来なくなるものらしい。人は無意識に、自分以外の存在との間にある関係を築くことに注意を払う。犬の世話を続ける過程において、自身のアイデンティティを再構築し、それまで自分でも気がつくことのなかった性格を知ることにもなる。
     なお、今の場合、本人が積極的に自身のテリトリー内に迎え入れたこともあり、犬の存在を無視する事や無関係で居られる事はそもそもありえない。

     仔犬であれ、成犬であれ、人と犬は、大昔から自然な形で一緒に住むようになっている。寒い冬に、人の体が凍えないように抱き合って温めてくれたのは、他ならぬ犬の存在である。
     そして、今は人社会の中にありながら、凍えている人の心を温めてくれる存在として犬がいる。犬自身の喜びが溢れ出している一挙一動を眺めているだけでも、何も無かった部屋の中が明るくなるような気がしないだろうか。

     少なくとも僕自身は、一人でテレビを見てて一人で笑うよりも、精神的には十分に満たされていると思うけれども…

  • 今より、優しくなれる。

     飼犬が喜ぶし、本当に美味しそうにオヤツを食べ、一生懸命にねだる様子を見ていれば、普通に同じような感情を持っている人ならば、思わずオヤツを与えてしまうだろうし、買い物に出かけても、飼犬の表情を思い出して、ついつい買い込んでしまうだろうと思う。もう、それだけでも「優しい人」だって言えるんじゃないだろうか。
     人は、明らかに自分が世話しなければならない存在、自分よりも明らかに弱い存在には、意図して強く振る舞う必要がないから、自然に優しく接することになる。それに、犬の前では無理に虚勢を張って強がる必要性が無いし、明らかに人間と違う価値観の元では自分を着飾る必要も無いので、素のまま自分でいられる。

     元々、生まれながらに殺人者なんて居ないように、虚勢を張らず着飾らない素の人間とは、優しい存在である。確かに、殺人に対して罪の意識を感じないサイコパスという精神状態を持つ人間はいるが、そもそも「殺人は悪い」と決めたのは人間であり人間社会の中で決められた一つのルールに過ぎない。
     生まれながらに殺人を楽しむ精神状態になる人間が居る可能性は否定しないが、それさえも自然界では当然在っても良いことであり、彼らの存在を否定するものでもないし、彼ら自身が悪いわけではない。

     だいたい「人を殺めることは悪いことである」等とは、時の権力者が自身と自身の家族の命を守るために勝手に決めた約束事に他ならない。処罰が怖いから力のないものは不平不満を口にするだけで満足し、ちょっとしたことでは狙われる危険性も少なくなるだろうというだけで導入された「道徳」の一つに過ぎないのである。
     社会を作っては壊しながら、人の文明は進歩してきた。その時々の権力者からしてみれば「悪」であっても、時代が違えば、彼らはヒーローや英雄になれるかもしれない。或いは救世主かもしれない。一方的な見解で評価する危険性を知っていて欲しい。

     当然、人間社会のルールと、犬のルールは違う。しかし、人は犬を人社会のルールに無理矢理に従わせているし、少なくとも人と寄り添って生きることを覚えた犬は、それを当然の事として受け入れてくれている。決して彼らは、厭々従っているわけではない。
     人と犬は種の違いを乗り越えて「友情を築けるか否か」は、僕が結論づける問題では無いから、何も言わないけれど、少なくとも犬と一緒に暮らしたことのある人なら、何らかの答えを持っていると思う。

  • 今より、注意深くなれる。

     犬と一緒に暮らし、犬の世話をするということは、一緒に住む犬の命を握っているというのと同じだ。だからこそ犬は自身の全身全霊を、人の前に投げ出すことが出来るのだし、信頼もしているわけだ。
     一緒に過ごすことで、彼らから「笑い」をもらい「癒やし」をもらっているならば、彼らの健康管理に注意を払うのは、保護者として当然のことであると認識しているのだけれど、そう感じない人も居るのかもしれない。

     そんな「恩を仇で返す」事が当然であると考えるような「生き物として不完全」な人は犬を飼う資格は無い。犬や猫でさえ「受けた恩は忘れない」のに、一方の人の方は簡単に恩を忘れるし、恩を仇で返す人もいる。
     おそらく「損・得」でしか物事を見れないからだろう。人であるがゆえに、人間社会の中で勝手に決められた「経済」というルールに自ら進んで縛られている愚かな人々であるとも言える。

     同居している犬が病気になったらどうするか。経済のルールにより、負担となった犬を捨てのるか殺すのか。それとも、病院に連れて行って治療してやるのか。
     病気や怪我に気が付かずに放ったらかしにしていたら、当然、病気の進行は手の施しようの無い所まで進行しているだろう。治療費もそれだけ高価になる。注意していさえいれば、病気や怪我の影響が小さいうちに対処できる。治療費も少なくて済む。

     犬の健康管理に注意深くしているということは、すなわち治療費にかかる負担を最小限に留めておく事ができるということに他ならない。それは悪いことでじゃないだろう。
     犬の表情や行動を注意深く見守る。決して怪我や病気を訴えることもしない、我慢強い犬の表情や、わずかな動作の違いが解るようになれば、さらに犬のからの信頼も得ることが出来る。

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