オッサンだったら犬と暮らそう(その 5)

DSC_6227 昨日に引き続き今日も同じ話題。っていうか、細々と書いていたら長くなったんで、連休に合わせて明日まで引き続き同じ話題で、よろしくお付き合い下さいな。
 オッサン、特に「独り者のおっさんほど犬を飼った方が良いよ〜 ♪」っていうのが今回の趣旨。その 2の 2。
 なお、ココで話題にしているオッサン = 中年男性とは 31~59歳代の男性の中で、今なお一人暮らしをしている独身男性のこと。( 31歳以上 60歳未満)

 そしてこれは、日本の片田舎に住む独りモンのオッサンが見た、出来れば「こうなって欲しい」っていう、一つの夢物語。叶うか叶わぬか、それは判らない。
 それでも「人は人以外の存在にも優しい生き物である」と願っていたい。日本の片田舎に住んでいる独りモンのオッサンにも、それくらいの夢は見てもいいだろう。

 まっ、何の根拠も無いけれど、独り身のおっさんほど犬を飼うと良いことが在るよって事なんだ。ありていに言えば「犬と一緒に居れば、少なくとも今よりも幸せになれるかも知れないよ」って事なのさ。

中年独身男性が犬を飼う事に依って得られるであろうメリット (その 2)

  • 今より、健康に留意するようになる。

     一人暮らしの独身男性が毎日の犬の世話をするのは、あくまでも飼主本人だけだ。全ての世話を代わりにやってもらうことは、たまに遊びにやって来る友人、知人、家族、子供に頼むことは出来ない。短期間の 1〜 2日程度の出張や、半日外出の際にお願いすることは可能かもしれないけれど、ずっとやってもらうのは無理だ。もし、そうなってしまったら、飼主を交代してもらうしかないだろう。
     自分の為に健康に留意することが当然なんだけれど、人は往々にして自分の健康管理をおざなりにしていまう傾向にある。医者の不養生って言葉があるくらいだから、その気になれば「何時でも出来る」ってことは、逆に言えば「気がついた時しかやらない」ってことなんだ。

     自分のためじゃない。飼犬の為に、自分の健康管理をする。本末転倒になってしまうかもしれないけれど、最終的に同じ結果が得られるならば、そんなことは大した問題じゃない。とにかく、毎日を健康的に過ごすことが大切なんだ。そうでなければ、犬の世話なんてできない。
     僕の場合、慢性的な運動不足を解消するために、犬の散歩という「大義名分」を持って自宅近辺を歩く手段を得た。例え自宅周辺であろうとも、夜更けや早朝に中年男性が一人でウロウロしていたのでは、例え近くに住んでいたとしても、それまで一度も顔を合わせたこともない人から見たら何と思われるか想像に難くない。

     僕の場合、自身の健康管理の手段として、毎日、少しづつの歩行運動を取り入れたいがために、近所の人から不審人物と勘違いされないためにも「犬」というパスポートを手に入れた。犬と一緒の散歩であれば会社から帰宅してどんな夜遅くであろうと、出社するまえのまだ薄暗い朝早くであろうと、殆どの場合は不審人物に見られることはない。僕の場合にしても、もともとの目的は、それだけだったんだ。
     しかし、仮に自宅周辺に運動公園があり、近所から不信感を抱かれずに運動できたとしても、自分の健康管理というだけの理由ならば何年もの間は続かなかったと思う。一緒に歩く飼犬が、本当に嬉しそうに歩く。近所のコンビニや、荷物もあるからと、つい車で行っていた 1km先のスーパーにも犬と一緒なら平気で歩ける。今じゃ 2km先のドラッグストアまでリックを背に、平気で往復を歩く。

     不思議なもので、同じ距離でも一人だと歩く気がしない。飼犬と一緒なら、ちょっとばかり遠くても「運動になるから」と自分に言い聞かせることで歩いて行けるけれど、片方の犬がヒート中で他の雄犬と出会う危険性があるから、犬だけを家に置いて一人で歩いて買い物出かけるかというと、どうしてもそんな気分にならないものなのだ。
     当初も今も、自分の健康管理のために少しでも運動をしようと考えただけで、それを実行しているだけなのだけど、犬と一緒という理由だけで継続できてるし、ちょっとした距離でも車に乗っていた場所へ歩いて行けるようになった。体に負担にならない歩行運動という全身運動を、既に 8年もの間、負担に感じることもなく継続できているのは我が家にやってきた「犬」という存在のおかげである。

  • 今より、付き合いの輪が広くなる。

     ほぼ毎日の様に自宅近辺を犬と一緒に歩きまわっていれば、自然に近所の人と出会う機会は多くなる。それ以前、犬と一緒に歩く前の 10年間、僕は、近所の人との付き合いは全く無かったと言い切っても支障はないだろう。
     もっとも 40歳代の独身男性に声をかけてくるようなお節介な叔母さんでもいれば、少しは違っているのかもしれないけれど、逆に、そのような人は鬱陶しくて、お付き合いを遠慮していたのが実情でもある。だから 10年間、近所の人には、なんか知らんけれど「いい年をした男が一人で暮らしているらしい」程度のことしか存在を知られていなかったらしい。

     ところが犬と一緒に歩いていれば、普通に犬が好きな人は声をかけてくる。相手が男であろうと、女であろうと、どんなにムサイオッサンであろうと、そこらへんは関係ないらしい。犬が可愛ければ、それだけで OKな所がある。自分も犬を飼うようになって、それがよく分かるようになった。
     変な下心なしに声をかけられるし、イヌ好きの場合は老若男女問わない。不思議なことに、小学生から会社員まで、男性よりも女性のほうが気軽に声をかけてくる。相手も犬と一緒なら、ついつい立ち止まっての犬はなしになってしまうのも仕方のない事かもしれない。

     相手の名前も齢も知らないけれど、犬の名前だけは知っているという犬友達が増え、そこから自然と近所にも馴染みさんが増えていく。顔を合わせれば、自然に互いに挨拶もする。犬と一緒に散歩するようになって、それまで感じていた、自分が近所から浮いている様な妙な疎外感からも開放されていた。
     犬が玄関先に居るだけで、ワラワラと近所の子供達が寄ってくる。同じクラスや同じ小学校の、ちょっと遠くに住んでいる子供達まで、噂をきいてやってくる。家では子供達から話を聞いて、母親までが我が家の犬の名前を知っている。現に散歩や買い物の途中で、見知らぬ方から突然「いつも子供がお世話になっています」と挨拶されることもある。それに驚きはしても、不愉快に感じる事は無い。

     最近では、とうとう近所の町内自治会の世話役として理事役まで回ってきてしまった。自分も知らないうちに、理事会の役員さんの中でも「犬と一緒に歩いている人」として有名になっていたりする。おかげで、各家庭に回覧板を持って行っても、先日も「敬老の日の記念品」を各家庭に持って行っても、誰からも不審がられることがなかった。犬と一緒にしていた散歩の副産物である。
     これらは全て、犬と一緒に 8年間ずっと近所を散歩していたからだ。僕が、犬と一緒でなければ得る事はなかったであろう「近所付き合い」というコミュニティーへの自然な参加である。

     今、僕がしている仕事「高齢者向けのパソコン指導」にしても、たまたま近所の犬友達として知り合った人からの紹介である。それまで受けていた講師の都合が悪くなって、誰か適当な人がいないだろうかと探していた時に、たまたまパソコンを扱えるという事を思い出したという。
     そういった意味では、犬がいなければ、僕の今の仕事も無かったわけである。犬友達のお陰で、それまでは接点もなく知り合う機会もなかった 60歳以上の高齢者。これまでの会社内で、やる気も覇気も無い社員の姿ばかり見てきた自分にとって、いくつになっても自ら学ぼうとする姿勢がある元気な高齢者の姿は見ていて気持ちの良いものがある。

  • 今より、信頼関係を築くのが楽になる。

     犬との「信頼関係」が築けた方なら、人との「信頼関係」を築くことも、さほど難しいものではないと気がつくだろう。言葉で説明できない犬との場合では、彼らには一貫した態度と行動で示すしか無い。
     人との関係も全く同じだと思う。裏表のない一貫した態度だけが、他者からの信頼を得ることが出来るのではないだろうか。

     僕も、犬の姿を見ていれば気がついた事ではあるが、誰か他者の信頼を得たければ、先ずはこちらから、その相手を丸ごと存在の全てを信頼する所から始めるしか無い。自分が相手を信頼しているからこそ、相手からの自分への信頼が欲しい。互いの「信頼関係」とは、そういったものでは無いのか。
     上っ面だけの「信頼関係」ってものが存在すると仮定して、そんな物を欲しがる輩の気が知れないけれど、犬との間にある「信頼関係」とは、そんな底の浅いものではない。犬から飼主に向けられる「信頼」の眼差しは、全身全霊をかけて「信頼」しているというもので、例え結果として己の命を失う事になっても恨みはしないという大きなものである。

     もしかすると人の場合、言葉巧みに一時的に信用を得る事ができるかもしれないが、言葉だけの場合、往々にして「詐欺」だったり「裏切り」に在ったりする場合もあるけれど、言葉もなく一貫した態度と行動から得られた「信頼関係」は、そうそう簡単に崩れることは無いと思う。
     言葉を伴わない「一貫した態度」で示すならば、例え口下手な男性でも実行可能な手段だと思う。そして自宅の「犬」との関係で既に頑強な「信頼関係」を構築しているならば、どうやって築けば良いか誰に尋ねる必要もなく、その方法は知っているはずである。

     互いの「信頼」を元に築き上げた「関係」を失わないこと。それが、僕と飼犬との間で交わした、たった一つの「約束」だから「唯一」なのだ。

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