犬を飼い始めるのは簡単

 決して多いワケでは無いが、最近「オッサンだったら犬と暮らそう」シリーズ 1 〜 6の全ページがコンスタントに読まれている。「独身」「飼犬」で検索してくる方が多いらしい、有り難い話である。瞳 ここで改めて自分が言うのもナンだけど「犬を飼う」のは、とっても簡単なコト。特に資格も理由も要らないし誰にでも思い立ったら直ぐに始められる。ただし「飼い続ける」コトは、想像以上に大変だと意識していて欲しい。

買主より飼主、飼主になるより愛犬家になって欲しい…

愛犬家になろう(その1)

 本来、動物を「飼う」事と「買う」事は全く違う。しかし悲しいかな、世の中には「同じ事」と勘違いしている輩が多いのも事実だし、世の中に、そんな人が(思っている以上に数多く)存在している事も、誰にも否定はできないだろう。何事もそうだけど「始める」のは簡単でも「続ける」のはとても大変なんだ。
 犬の飼主になるのに何も必要な物なんて何も無い。でも新らたに関係を築くなら、使役する「飼犬」と「飼主」の関係ぢゃなく「愛犬」と互いに信頼という目に見えなくても強くて硬い絆で結ばれた「愛犬家」になって下さい。と僕は提案したい。ただ字面から勘違いして、犬ではなく我が身しか愛してない人と一緒にしないで欲しい、けどね。

 犬を「畜生」と呼ぶ人は、けっして犬から信頼される事は無いだろうなって思う。犬は飼主の心の鏡だから、飼主の持つ飼犬への不信感は、そのまま飼い犬から飼主へと形を変えずに返されるものだ。
 例えば「飼犬に手を咬まれ」て「畜生の癖に」なんて悪態つく前に、先に己自身に反省すべき点が無かったかどうかを思い返してみるべきでは無いのかとも思うが、僕って小心者だから本人に面と向かっては言えないんだよなぁ、これが…

不信感 最近の小町の瞳を見ていると、初めて我家に来た頃の表情と全く違っていると感じる。
 それは僕にだけに限って向けられるモノじゃなく、我家をとりまく人々に対して向ける表情も同様に、小町なりの優しさに満ちていると思う。

DSC_7479-001 一度閉ざしてしまった心の扉を開くのには時間を要するけど、犬は人を信じ始めたら、とことん心の底から信じるのだなぁと感じる。勿論、それは僕だけの力じゃなく、頑だった小町の心を開くのに力を貸してくれた近所に住む沢山の人の協力の元なんだけどね。
 犬と一緒に暮らして初めて知った事は、犬は「仲間に対して牙を剥く事は絶対に無い」って言う事。きちんと人間社会に属していると認識している犬の場合、例え自分の身の安全のためであっても命令が無い限り人に対しても牙を剥いて攻撃する事は無い。
 逆に、人に対する絶対的な信頼関係を持ってなければ、自己判断で勝手に家族以外の人を攻撃する事がある。特に子供の場合、犬よりも弱者に見られるため、犬にとって不快な事をした場合、ちょっとした事でも威嚇する傾向がある。この場合でも、単なる威嚇であって、犬には相手を傷つけるツモリは全く無い。威嚇とは人の言葉で言うトコロの「注意」みたいなモノだ。

DSC_7498-001 きちんと人社会にいる事を認識している犬の場合は自分の本当の力を知っているから、彼らが命令も無く人を攻撃する事は無い。それに少しでも犬が人に対して牙を立てれば、簡単に人は傷つき死んでしまうって事をきちんと理解し意識している。だからこそ手加減もする。
 子供に対しても威嚇する事も無く自から身を避けて、その場から逃げ出し、争う事も無く「逃げるが勝ち」である事を知っている。

 犬自身、己が人よりも力が強いと知っているのにも関わらず、人の指示に従い人を守ってくれる。それは何故なんだろう。「信頼」と言う「見えない絆」で結ばれた人と犬の関係は、何よりも強固な物なんだなぁって思うよ。
 そういった意味で犬には言葉が通じない分、彼らには嘘は言えないし冗談は通じない。後から云い訳する事も出来ない。人は、きちんと犬に分る様に伝えなければ犬には伝わらない。言わなくても、ちゃんと分ってくれる筈って言う事は、相手が人であろうと犬であろうと何もしないでも伝わるなんて事は、そもそも有り得ない事なのだ。

DSC_7354 信頼関係で結ばれた人と犬との関係は、互いの命が無くなるまで反故にされる事は無い。人とは違い犬から信頼を裏切る事は無い。彼らは信頼関係が崩れた瞬間から群れとして生きて行く事は出来なくなる事を知っているから。
 裏切りは即、生存競争から脱落した事を意味し、自身の死に直結している事を知っている。一匹狼で生きて行ける程、世の中は甘くも優しくも無いと知っている。
 だからこそ愛犬との「約束」は「死んだらゴメン」まで続く「誓い」なんだ。

 ソレも判らず、ただ犬を自分の意思の支配下に置き、自分の言いなりになる様にただ従わせようとするだけの勘違い野郎に、犬は決して大人しくはしていない。また愛情と言っても、結局は犬の為じゃなく自己満足や自己憐憫的な偏った愛情であっては、犬と本当に心を通わせる事は出来ないし、溺愛しても犬は心を開かない。
 男であれ女であれ「飼い犬に手を咬まれる」のは得てして、こういう輩である。犬に心が有る事も、犬の意思も全く理解しようとはしていないのだから、一方的に怒りをまき散らして静まる事も知らない。己に非がある事は一切認めないのだから、単なる八つ当たりでしかない。そんな輩の元には、どんなに心優しい犬だって一緒に居たいとは思わないだろうな。

IMG_2869 人と犬が信頼関係で結ばれた時、犬は何よりも安全な生き物となり、人を攻撃する事は無くなる。それが行き着く所まで行ってしまうと、盲導犬の様に仮に飼主が害されても相手が人である場合には攻撃しない犬になってしまう。
 人社会に生きる犬は、例え人の側に非があろうとも、人を攻撃する事は許されない。それも変なんだけどね。
 自分が敬愛する人を傷つけられているのに、それでも攻撃してはいけないなんて変だと思いませんか?
 例えば、自分の妻や夫を守れない配偶者って、貴方は何だと思いますか?
 自分たち人間にも出来ない事を犬に強制している事が、今の世の中のあり方らしいけれど…

 犬は理由も無く同類を攻撃する事は無いけれど、人は理由も無く人を殺す。そう考えると人は、精神的には犬にも劣る存在なんだなぁって、何だか情けなくもなる。寂しい事に、それが現実でもある。一体何処が「霊長類」なんだろうねぇ。
 我々が本当の意味での「霊長類」に成れる日は、本当に来るんだろうかって思わなくも無いけれど、この世に中の全てが自身の投影である事を認め、それを赦せば、少しづつではあるけれど変わって行けるんだろうな、きっと。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。