スキンシップ

 例えば僕の場合、今月の割と暖かかった 8日と 9日に飼犬を洗い、先月は 13日と 14日の急激に冷え込んだけど天気が好かった日に洗った。 IMG_3084

直に触れ合うほど心は近くなる。

愛犬家になろう(その4)

 先々月は 10月中旬に、折角の連休に日本に上陸した大型で強い勢力を保ったまま宮崎県下を通り過ぎた台風 19号の後、奇麗に晴渡った火曜と木曜、汚れに汚れたアリスと小町を順番に風呂に入れて洗ってる様に、ほぼ毎月 1回、順番に 2頭を自宅の風呂場で洗っている。
 幸い二頭とも大の風呂好きで、洗っている間は大人しい。拭き終わるまではジッとしていてくれるアリスに比べ、タオルを見せたとたんにハシャイで拭き終わるまで、ちっともジッとしていてくれない小町っていう図式は、今の所まだ変わってはいないけど…

IMG_3073 「人社会」には… っていうか狭義的には「男社会」の人間関係を表すのに「裸の付き合い」という言葉が有る。
 ここで意味を一々説明する必要も無いとは思うけれど、あえて補足を入れるとすれば「社会的地位や財産に捕われず、お互いに本音で言い合える様なとても親しい間柄」とでも言えば良いのだろうか。
 言葉の通じない飼犬と良好な関係を構築する場合、文字通り「裸の付き合い」とでも言える様なスキンシップが、とても有効である様な気がする。
 犬は人の気を機敏に察知するから、人が不愉快に思った瞬間、それを理由に風呂嫌いになる恐れがある。犬を洗う時、人も一緒に裸になっていれば、何度も犬に身体をブルブルされても不快に思う事も無く動じないでいられる。
 犬自身だって洗い終わった後の気持ち良さを覚えると、風呂に入って身体を洗われてる間、飼主に湯を掛けられ泡だらけにされ身体の色んな部分を触られたりしても、少しも不安になったり不快に思ったりしなくなる。

 毎月たった 1回、飼主が飼犬を風呂に入れるだけでも年にすると 12回だ。そうやって何度も何度も繰り返す事で、犬は体の全ての部分を触られる事に慣れて来る。
 そして、それが風呂に入っている時だけじゃなくても犬自身は身体のどの部分を触られたとしても、飼主であれば何もせずじっと我が身を委ねているっていう関係を築き易くなると思うんだ。

IMG_3115 人に対して完全に信頼しきっている場合なら、相手が初めて会う見知らぬ人でも、犬自身の体の何処を触られても安心しきって人の手から逃げたり避けたりしなくなる。
 番犬の場合、ちょっとコレでは困ってしまうこともあるかもしれないけれど、人社会に犬が恐れられずに受け入れられるためには、飼主が人社会の代表者として、犬自身に人は誰も犬に害を与える様な怖い存在では無いということを、繰り返し繰り返し教えてあげる必要が有る。
 我が家では子犬から育ててきたアリスの場合は完全に人に慣れてしまっていて、耳や尻尾を握ろうとする子供のいたずらにさえ大目に見て受け入れているが、小町の場合は最初の頃に比べたら幾分マシになってきているとは言え、未だ頭を撫ぜようと差し出される上からの手に怯えて避けようとする。残念ながら小町の場合は、幼少の頃の記憶が彼女をそうさせるのかもしれない。

 人であろうと犬であろうと、幼少の頃に傍目からは多すぎると思われるほど十分な愛情を注がれずに育ってしまうと、往々にして心が歪になったままに体だけが成長してしまい、後々取り返しのつかない事になってしまうのは何も変わらないと思う。
 愛とは、与える側でなく受け取る側が理解できなければ何の意味もなさない。だから注意しなければ、愛を与える側が幾ら相手に対して愛情深く接しているつもりでも相手に伝わらければ何一つ与えていないのと同じことになってしまう。

IMG_3125 愛を与える側には相手が理解できるように自分の中に有る愛を、きちんと伝える責任がある。片思いと同じで、愛は持っているだけでは相手に何一つ伝わる事はない。例え奇跡が起こったとしても、心の中で思ってるだけの好意では相手に伝わることは絶対に無いのだ。
 相手が解るように相手に向き合って自らの態度で伝えない限り、きちんと相手には伝わることはない。一方的に伝えたつもりになっていても相手が解るように伝えてなければ何もしてない事と同じことになる。
 犬には人の言葉は通じはしないし、言葉の意味は通じないから、飼犬に人の愛が解るように伝えるには飼主が自らの行動で示すしかない。
 自らが飼犬に対して、殺意がない、敵意がない、害意がない、飼犬のあるがまま、そのままを受け入れている事。良い子だから、おとなしいから、吠えないから、可愛いから、命令を聞くから、だから愛している。そんな条件付きの愛だったら、それは本当の愛じゃないだろう。

 飼い犬が自分の愛犬でいてくれている廻り会えた偶然に感謝してる。今という同じ時間を一緒に過ごしていられる偶然。自分自信が、それ自体に感謝していること。飼犬が犬として、ただ、そこにいてくれる。犬としての存在、そのものを受け入れ、認め、あるがままを愛おしいと思っていること。
 以上の事を飼犬に伝え、愛犬が理解してくれてること。この地上の同じ時の中に生きている同じ命ある存在として触れ合える大切な仲間であること、人と犬の種族の枠を超えて同居していられる幸せを体に感じながら、これからも僕はスキンシップを有効に活用していこうと考えている。

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One Response to スキンシップ

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