怒りのデス・ロード

 先日 23日の火曜日、友人とマッドマックス「 怒りのデス・ロード」(Mad Max: Fury Road)を観て来ました。
top 観た日の、わずか 3日前に公開されたばかりと言うのにパンフレットが既に完売となってて今回は残念ながら手に入りませんでしたけど…
 宮崎市内で公開されて、まだ 1週間しか経ってないのでネタバレの危険性も含め、これ以降の閲覧は、どうか自己責任って事で… (^-^;)

 メルギブソン主演の 3部作だった前作から主人公が交代していますが、話の流れ的には別にリブートって訳でも、前作からの続きの話って訳でもなかったです。
 しいて言えばタイトルの前に改造しまくった愛車が出てきてるので、前作での自分の車を爆破させている 2作目の前って事になるんでしょうか、ね。それともパラレルワールドかな?

 既に観客が主人公のバックボーンを知っている事を前提に、改めて人物紹介をする事も無く話がサクサク進んで行きます。だからと言って難しい話は何も無くセリフも少なかったから、あまり字幕も気にならなかった気がする。
 その代わりにアクションにつぐアクションって映画だったので、前作を知ら無い人でも楽しめたんじゃないかしら、ん。

Fury-road-1 話的には良くある、他の登場人物が起こす騒動に、主人公が不本意ながらも巻き込まれれてしまうと言った物語。
Fury-road-4 前半 2/3は、とにかく逃げ回る逃走劇で、後半 1/3は逆襲劇。ひたすら目まぐるしいアクションの連続。

 小難しい理屈なんか必要ない。ってか、そんな文化的な物が全て、とっくに壊れてしまった本能のみが支配する世界が舞台なので、僕ら観客は、ひたすらに派手なアクションや爆発を楽しむ映画ってことなんだろうな。

Fury-road-2 しかし他に楽しみが全く無い社会とはいえ悪役が、皆とにかく元気なんだよね。
FURY ROAD 正直な所ところ、日本人である僕には、あまり共感でき無い世界観ではある。

 オーストラリアの映画とはいえ最後は、ちゃんとハッピーエンドになっている。一応、それだけは救いかな?

 感覚的には「デカダンス」の訳でもある「衰退」の意味に近い「退廃的な社会」ってのは命に執着し無い刹那的ではあるけれど、ある種の諦めにも似て静かに滅亡に向かって進んでいる感覚があり、同じように命を軽んじている「廃頽的な社会」である映画のような、暴力が渦巻く社会とは全く背反する社会ではある気がする。
 ある意味、世紀末において「他人の命を軽んじる」けれど「自身が生き残ることには執着してる」か否かって所で、映画のような生き方に分かれるのだろう。

 おそらく、あまり世界観に共感できないのは、僕自身が既に歳を重ねてしまってるが故に、以前ほど「自身の生に執着していない」って所為もあるのだろう、な。

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