豊かさって何だろう?

 先日訪れた、下関市の長府庭園で「自分にとって真の豊かさって何だろう?」と考える機会を得た。巷でいう所の「人のふり見て我がふり直せ」という言葉通りの意味である。
 勘違いでなければ今回、僕に与えられたキーワードは 4つ。「祝福」「仕事」「過去」「選択」である。それらは僕自身の投影という形で、先日の下関市で出会った兄の知人達と交えた、全ての会話の中に散りばめられていた。
 いつもに比べ文が長いので、興味のある方だけが目を通す様にしてね。(^-^;)/ (一応、これでも推敲して半分以下に縮めたんだからぁ… ごめん。m(_ _)m )

注 ※ なお下記で言う、僕の「心の中の存在」とは自分を導いてくれる存在で、人によっては「神」だったり「天使」だったり「御父」だったり「精霊」だったり「守護者」だったり「背後霊」だったり「良心」だったり、色々な呼び方があると思う。
 どう呼んでも同じだから、ここでは気にしない。ちなみに僕の場合「ご先祖様」である。これは両親の宗教観の影響を子供の頃から色濃く受けているため。(^-^)/ 

 僕は参加してないけれど今回、下関市に集まった兄の知人は全員、各々に ACIMというコースを学び、勉強会を通じ知り合った方々だから、ある意味において真に「豊か」になる道を模索している方々でもある。
 初対面でも「女子会」に近いノリで自分の心を隠さず言葉として表現する事に慣れている人の集まりとも言える。だから門外漢の僕が居ても、意図せず話題もそれに近いものになってしまうのは自然な流れなのだろう。

 ただ僕自身が、たわいもない会話の中で何の言葉に反応し何に引っかかったのか全ては会話の中の「言葉」に、僕自身の抱える悩みや不安を解決するヒントや糸口が隠されていたらしい。
 当日の朝一、長府庭園の駐車場に到着して車を降りた瞬間、ばったり出会った時から既に始まっていた。今回、それに気付けただけでも十分、下関市まで行った価値があったと言える。(^-^)

 僕から見て、人目を気にし過ぎて人付き合いに悩む方、プライドが邪魔して失敗を認められず援助の手も拒否してる方、お金に執着する余りに目の前にある豊かさを見逃している方、自分を素直に愛せないから自分に自信が持てない方。
 様々な可能性を考え、一歩進むにも「言葉」での後押しを求める方からも、その時々の途中で今の会話の中の言葉にこそヒントがあるんだよと言う事が示されていた。
 大事なのは「考え過ぎない」事。「下手の考え休むに似たり」という言葉通り、僕ら各々一人づつ心の中に住んでいる存在が親切に教えてる「忠告」に素直に耳を傾けるか、己の迷いの末に導き出した「考え」を優先するのか。
 いずれにせよ僕らには何時でも、常に「選択」する自由と権利が与えられている事を事を忘れないでいて欲しいという事なのだと思う。
 もちろん「選択」した結果を受け入れ、なおも先に進む努力を惜しまないでいる事も大切なのだろう。
 豊かであるがゆえに「働け」と。決して「お金」のためではなく心の「平穏」を得るために「働く」事の喜びを知った上で伝える為に、ここに明確な「文字」として残せと、僕の「心の中の存在」が語っている。

 裏を返せば、今回の「会話」の全ては僕の中にある無意識の潜在的な不安の表れだ。自分自身が決まった定職に着いていないが故に、常に現金収入の不安定さに怯え、友人との関係にも自分に自信が無い。或いは「恥ずかしい」と思いながら変に強がってみたり、人目を気にしていたり。プライドが邪魔をして素直になれなかったり。
 何の事はない。今なら、全てが自分自身の投影だったと理解できる。人の口を借りて、自分の心の中にある無意識の不安を、無理に目を背けて直視しないように避けていた事を、露わにされただけである。

 僕自身は現在、プー太郎であるが故に会社や他人に自分の時間を占有されたり縛られたりせず、自由に活用する事が可能だ。自分の楽しみのために本を読んだり映画を観たり、両親の通院のために送り迎えをしたり、実家の草刈りをしたり、墓掃除をしたり、自分に無理のない範囲内で親孝行が出来てる幸運があると、いうのに。
 今の自分の周りには十分すぎるほどの幸福の種があり、それに自分でも気がついていながら気づかないふりをしてしまったり、目をそらしてしまうのは一体何故なんの為だろう、ね?

 自分でも判っていた事でありながら力づくで無理に心の奥に封じ込めていた事を、他人の不安や悩みという形で自分の中を冷静に外から見つめる。他人への忠告として導き出した自分の「選択」は、そのまま自分自身に返ってくるブーメランとなって全て戻ってくる。
 自分自身を批判したり、甘やかしたり、ジャッジしたり、否定する事は簡単。逆に、挫けて怠けそうな自身を叱咤激励し、そんな自分を愛し褒めながら認める事は難しい。

 水は、時に激しく時に緩やかに、しかも「水」である性質は変わらないままに、その時々において形を変えながら流れてゆく。低き所へと流されながら、少しづつ周りの地形を都合の良いように変えてもいく。
 中に生き物を住まわせ、縁に植物を這わせ、様々な命を育くみ慈しんでいる。そこに明確な意思こそ無いが命への讃歌がある。
 人生を「水滴」として見れば流れを意識することとなり、それぞれ時を分離して別々に瞬間の水滴として認識する。
 人生を「水」として見れば全ては一つに成る。激しい流れも穏やかな流れも分離する事もなく全て同時に在るものとして認識できる。

 ある瞬間の一部分だけを取り出して、水全体を評価する危険性を犯す事が良い事なのだろうか。それとも俯瞰して水の流れの全体を見た上で判断する方が良いのだろうか。どちらを選ぶのか、常に僕らには「選択」枝は与えられており、その判断も委ねられている。
 しかし、仮に水の何かが解ったとしても此処の水は庭の一部に過ぎず、全体から見渡せば僅かな部分を流れているに過ぎない。その庭もまた広大な敷地に感じられても塀に囲まれた箱庭に過ぎず、さらに広く大きな物の一部に過ぎない。

 相手がいる事を認め自分との分離を意識したとたん、互いに自分の一方的な正義を唱え批判し争い合ってしまうけど、渦中に在り当事者で有れば大問題でもある権威争いや陣取り合戦も、視点を変えるだけで大した意味を持たなくなる好例かも知れない。
 自分自身への豊かさを求めた時、底々じゃなく高々でも無くて程々の生活、自分の身の丈に合った生活が出来ればいいなって思う。少しづつ身の丈を大きくして、その時々に応じた「豊かさ」を手にできるように流されながらでも自分に都合の良いように周りを変えていく努力は惜しま無いようにしたいと、今は考えている。

 現時点における僕なりの真の「豊かさ」とは、常に自分の心が「平穏の中に在る」事であり、いかようにも対応できる様に自身の視点を「ニュートラルな位置に置く」事ではないだろうか、と考える。
 今は所はココまで。周りに振り回される事無く、このスタンスを保てる事が今の僕に与えられた課題なのだろう。僕自身、人であるがゆえに「心を平穏に保つ」事は、それほどに難しい事だと思うのだ。

 事ある毎に揺れ動く自分に、それらに対し「赦し」「委ね」「感謝」する。全てを光に還し「もう大丈夫」だと、自身を落ち着かせる。何か解らないモノに対し自分が心を砕き、心配する必要は無い。いつまでも気に病む必要もない。それこそ「無駄な努力」と言うモノである。
 だからと言って「分かっちゃいるけどやめられない。」とか「あ〜やんなっちゃった、あ〜ぁおどろいた。」って歌って誤魔化しちゃいけない。きちんと見つめ、認めて、光の中に返し、全てが終わった後に改めて「今のには何の意味があったのですか?」と質問し、答えを確認して、理解しなきゃ、再び同じ過ちを繰り返してしまう。

 よく「仏の顔も三度まで」というけれど、きっとそれ以上、僕等の過去には何億何千万回も同じ過ちを繰り返してきたはず。あぁ恥ずかしい。だからといって、その恥ずかしかった過去の自分を「無かった」事にしてはいけない。
 反省は大事だけど、自分を繰り返し攻撃する事に意味はない。無理な力技で「初めから、そうでしたけど何か?」なんて惚けてはならない。

 今思えば、その頃の恥ずかしい自分も確かに自分だった事を認め、その頃の恥ずかしい自分がいたからこそ今の自分が居るのだと、改めて赦し感謝した方が良い。
 何度も繰り返し失敗したのは、失敗を無かった事にしてゲーム機のリセットボタンを押す様に無理やりに忘れようとしたからだと認めよう。
 今ならば出来る、冷静になって過ちを認め、その意味を尋ね、きちんと理解することで経験を知恵に昇華できる。失敗は責め負う物でなく、失敗は赦し感謝する物だ。

 そうすることで過去に何万回も繰り返した経験や体験が無駄にならず有効に活用できる。ただし自分の頭で考えたり評価してはならない。分析や評価は専任のプロに任せた方がいい。素直に「心の中にある存在」に全て委ね、焦らず落ち着いて質問しよう。
 自分の役割は、冷静になってから「具体的な質問をする」事と「返って来た答えを理解する」事だと認識しよう。例え自分にとって、それが「耳の痛い話」であったとしても聞か無かったフリは出来ないし、しちゃいけない。

 分離していた意図を、きちんと理解し「赦し」「委ね」「感謝」して初めて、やっと失敗と記憶の全てを無かった事にできるのだろう。
 分離していた存在全体を赦し、自分の中の光に取り込んでしまう。そこまでしなければ自分の人生を「最初から、そうだった」と言う「幸せに満たされた記憶」に塗り替える事は出来ないのだろう、な。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。