バケモノの子

 今月の「映画の日」の当日は友人の都合がつかなかったので 1人で「バケモノの子」を観に行ってきました。実は細田監督のアニメを観るのは今回が初めてでした。
V02 ポスターには「家族の物語」とありましたが、言わば前作『おおかみこどもの雨と雪』が母と子の幼年期の物語であったので、この『バケモノの子』は父と子の青年期の物語とでも言えるのでしょうか。
 これ以降はネタバレを含んでいるので、自己責任にて閲覧してください。よろしくお願いします。m(_ _)m

A0 ネット上では評価が二分されていましたが、僕は面白くて感動的な作品だったと感じました。
 ネット上で読んだ一部の評価で、この映画はツマラナイとか、気持ち悪いとか、吐き気がするとかいう感想を持った人たちのブログもありましたが、きっと心が半分壊れかかっている寂しい人なんだろうなぁって思います。
 それでも細田監督の作品は大嫌いだと言いながら、ちゃんと映画館にまで足を運んで観て来た感想なのですから、彼らもまた映画の何処かに救いを求め、何かを探しに来ているのには違いないのでしょう。

 いきなりネタバレにもなってしまいますが、恐らく批判する彼らもまた渋谷で彷徨っている頃の九つの頃の主人公と同様に、大人なんか誰も信じられなくなっているのでしょう。自分の目に写る何もかもが綺麗事に見えるのでしょう、ね。
 けれども主人公「九太」には「熊徹」という救済が現れたけど自分には現れなかった。それは「一朗彦」が九太へ対して抱いた「僻み」から「逆恨み」をへて「憎悪」するという「闇の感情」そのものと同じモノなんでしょう、けどね。

B0 一人ぼっちどうしが、互いに素直になれず反発しながら助け合い、片や二人で食っていくために何も言わず昼間は稼ぐためアルバイトに精を出す「師匠」の熊徹、片や九太は「弟子」として、料理・洗濯・掃除などの家事全般を黙ってこなし始めます。
B2 そこへ熊轍の昔ながらの悪友二人がちょくちょく顔を出し、なんやかんやと細々とお節介を焼く、なんとも奇妙な同居暮らしが始まったわけです。
 九太にすれば、大人なのに大人な態度を取れない師匠に共感と苛立ちを覚え、大人を憎みながら素直になれない自分自身との葛藤を抱えながら成長してゆきます。

 そんな二人を見守る悪友二人も、意図せず九太の疑問や悩みに答える形で彼自身の成長に手を貸し、自らバケモノの世界に迷い込んだ時は九つだった九太が十七歳になった時、再び人間の世界と往来が可能になりました。
 自我の芽生える時期、大人の手を借りずに大きくなりたいと願いながら大人の手を借りなければ大きくなれないジレンマを抱えた九つの頃。そして自分の将来や生まれた意味や自身の存在を意識しながら、さらに大きく成長しようとする十七の頃。

B4 僕自身、息子が九か月の時に別れたきり一度も会ったことがありません。今更、自分自身の複雑な胸中を語る気はありませんが、途中から何とも表現しづらい感情を抱えながら観ていたのも事実です。

C0 また一方で僕自身、時代もあったのでしょうが田舎生まれの田舎育ちであるが故に親戚や近所の大人達に見守られながら多くの愛情を受けて育ったのも事実です。
 もちろん僕自身も、その時々に於いて成長期や反抗期を経てきているので、九太の感情も、熊徹の感情も、実父の感情も、それぞれの立場として良く解る様な気がします。

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