殆どが対象外機種になっちゃた…

 先週、日本時間で 6月 14日から 5日間、アメリカはサンフランシスコで Apple主催の祭典 Worldwide Developers Conferenceが開催されました。1週間に渡って様々な情報がじわじわと出てくるので、既に頭の固くなっている僕には咀嚼するのに時間がかかりまする…
 割とすぐに理解できたのは、僕の持つ数々の Apple製品である iMac、iPad、iPod touchの全てが「今年の秋に一斉にアップデートされる新 OSよりアップデート対象機種から全て外されてしまった」ということくらいである。まぁ仕方ない、かな。
 ただ最初のうち iPod touch 5thはアップデートできる対象機種から外されていなかったんだよ。一眠りしてる間にサイトが更新され、対象機種から消えていた。チェ、糠喜びさせられてしまいましたよ。プンスカ。

 もっとも iPadに至っては、計算では今年後半辺りからバッテリー寿命を迎え年内中には昇天してしまいそうだし iPod touchは僕自身が老眼になってしまったために表示文字が読み難くなってからは音楽再生以外に使うこともなくなっている。
 ちょっとした時に、カメラと ICレコーダーとして使うことはあるけど、一応それなりのレンズを持つカメラには敵わないし ICレコーダーとしてはモノラルマイク故に、臨場感に乏しいので結局はメインで使うこともない。
 
 現状でもそうなので iPod touchを買い直す必要を感じ無い。表示文字の故に今更 iPhone7に限らずスマートフォン自体を使わないだろう。別に最新 iOSが使えなくなっても大して困らないかなって感じか、ねぇ。
 今年中に出るかもしれないという新しい iPad Airには興味あるけれど利用法において iPad Proと、どちらが良いか迷う。迷うくらいなら全ての機種が Pro並みになるまで我慢するって手段もある。この際、完全にバッテリーが使えなくなり無用なガラス板に成るまで使い倒してからでも遅くは無いかな。どうせ時間の問題だろうし。

 その一方で、主にパソコン教室での指導用と業務ソフトの保守環境として VMWareを使っている MacBook pro 15inchは macOSへとバージョンアップ可能だが、業務上 VMWareが動かなくなるのは困るので、やらない。
 今の現状ではほとんど使っていない iMac 27inchだけが新 macOS Sierraへと移行できることになるが、そうなると作業環境として最新モバイル環境が無くなってしまう事になる。それはチョッと辛いかなぁ…
 でも iPadと MacBookの両方は買えないものねぇ…

 結果そういうことで、これまで僕のメイン環境だった iMacと iPadと iPod touch、それに iPod nanoがアップデート対象から全て外されたのを機に、この環境を凍結しネットに繋がないことにしよう。
 ただ、元々 iMacと iPod touchにはメインの使い道が有るからいいけど、もしも全くネットに繋がなくなった iPadには何の使い道があるだろう? ほぼ全てのゲームが出来なくなるわけだし、音楽再生は iPodに任せるとすると、せいぜい PDFリーダーか或は動画を再生するくらいだろうか。もしくはフォトキャビネットか、なぁ…

 現状の僕、そしてこれからの僕にとっても、分刻みの仕事をする予定は無いからスマートフォンは完全に不必要。腕時計で十分なのでスマートウォッチも要らない。結局 iPadや iPod touchの小さな画面では動画は観ない、かえって疲れてしまう。逆に大きな画面では画像が綺麗過ぎると、現実との境がつかなくなって観てるだけで動画に酔うから気分が悪くなってしまう。
 一通り落ち着くまでは 2Kも 4Kも 8Kもどれも買うつもりも予定も無いけど、テレビ放送にしても自分的には DVD画質で十分だったのでブルーレイもデジタルテレビ放送も、結局は観ちゃいない。適度に荒い画面の方が現実では無いと冷静に判断できるらしく酔うことは無い。

 視野いっぱいに広がる綺麗すぎる大画面では、多分アバターの 3Dを観た時みたいに成ってしまう。あの時は満席で幸い一番後ろの席だったから常に視覚の端に画面の端が見えていた。
 その所為で、窓から外を覗いている感覚に近いものが有ったおかげで画面に酔うこともなかったけど、きっと昔に初めてプロジェクターで F0のゲームを見たときみたいに成ってしまうに違い無い。

 僕ら人間の感覚器である三半規管や視覚、そして聴覚は、とても簡単に騙せてしまう。既に味覚や嗅覚は騙せる。やがて触覚も騙せるようになってしまうだろう。
 そうなった時、僕らは何を持って現実空間と仮想空間を区別するのだろう。だから僕には、人がなぜ VRにああも騒ぐのか理解できない。

 人の持つ五感全てが信頼できなくなった時、きっと誰も現実との区別を証明する術を持って無いだろう。もしも、そうなった時、僕らが現実と信じている世界が「夢の世界」じゃない「仮想空間」では無いと一体誰が言えるんだ?
 本当に実体験と仮想体験の区別ができなくなった瞬間、果たしてその時代に生きる人々はどうするんだろう、ね。人は生まれて死ぬまで、まるで羊水の中に居る様な安全なカプセルの中で一生を終えてしまう。その時 The Matrixの映画は冗談じゃ無くなるかもしれないんだ、よ。

 人間自身がニュートラルな感覚でいるられるために「あえて不便さを残し、荒さを残す」って事は必要な事だと、頭の固い古い感覚の持ち主である爺いの僕自身は、そう考えているのだけれど。

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