PCなんて本当にバカ高い玩具だよ(その1)

 新年にあたり、しばらく前から自分自身がずっと感じていた事を書いておこうと思う。
 自分自身の趣味と仕事、それに存在意義までも一旦否定してしまう事も、今の時点では必要だろう。っていうか、そもそも僕自身がパソコン指導の現状に対して感じている疑念から始まっているのだが…

 僕は個人的に「パソコンとは非常に金のかかる玩具である」と思っている。事実「紙」と「鉛筆」があれば簡単に出来る作業に高い金を出し、わざわざ簡単な事に恐ろしく時間をかけて実現、それでいて仕事をしている気になっている「勘違いした輩」が実に多いと感じているのだ。
 例えばパソコンにプレミアムやラグジュアリーを求めるのも無駄だと思うし、究極のゲーミングマシンとか言ってわずか 15%そこそこ処理速度が速いだけの CPU搭載マシンに対して数万円も余計に支払うのさえ、どうかしているとも思う。
 また「高級感溢れる」とかのキャッチコピー等、それこそ馬鹿馬鹿しいとさえ思うし、流行なんて一過性のものだから「判ってて」そんな言葉に踊るのなら別に悪くは無いだろうけど、だからと言って自慢できるもんでも無い。

 もちろん 1分 1秒の処理速度の差で作品のクオリティを左右する様な画像や映像の世界、僅かな違いの差であっても生産物に対し金額を計上することが可能である職種であれば、金額に糸目をつけることもない。
 その時点での手に入る最速 CPUと GPU、そして最速 SSDを入手すればいいし、そうすることも許されるだろう。その様な職種に従事していない一般的と言われる業務をこなすだけの我々に、それは許される事では無いしオーバースペックでもある。処理能力全体の 70%も使うことは無いであろう事も簡単に予想できる。

 それが 3年後には同程度の性能を持つ製品が半額以下で買えてしまう現実に僕自身は「馬鹿らしい」と感じてしまうけれど、価値観は人によってそれぞれ異なるので、そんな事さえ「言うだけ野暮」というものである。
 人の趣味にケチをつけるつもりはないし、高性能ゲーミングマシンと呼ばれるシステムにお金を注ぎ込む事に生きがいを感じている方に対して、わざわざ助言する気はない。上から目線で「無駄な事」とも「無益な事」とも言うつもりも無い。それこそ「余計なお世話」というものだ。

 言える事はパソコンも道具に過ぎないと言う事。いくら性能が高くてもデザインが良くても、使う人にそれなりの感性と主体性が無ければ所詮は値段が高いだけの「場所ふさぎの置物」でしか無くなる。
 傑作とは高価なパソコンが生み出す物じゃ無い。それは常に人の感性から生み出される物なのだ。高級品だろうが型遅れの放出品だろうが出来る事には何も違いはない。発売時期によって多少の速度差は有るだろうが、一般的な文書作成の場合であれば人の入力速度の方が遅いので、いずれにせよ大きな問題とはならない。

 現在、普通に売られているパソコンなら例えどんな製品であっても 20年前に主流だった Windows 98SE 当時からすれば比較にならないほどに高速だし、十分過ぎる程に高性能だ。内臓 HDDの容量一つとっても、当時の 100倍を軽く超えている。
 以前に Virtual PCで作った WIn98SEの HDDイメージは iMac G5の内臓 HDDが飛んだ時に一緒に消えたしまったので、残念ながら今ここで MacBook Air上の VMWareにコンバートして体感してみる事は叶わない。

 一応 1997年に DELLから一式 198,000円で購入したマシンは未だに手元に残っているが Celeronの 400MHzなので起動させるだけでも相当イラつくだろう事は想像できる。その前に IDE 2Gの内臓 HDDが動作するか否か怪しい。
 当時の Windows 98SEと現在主流の Windows 10とで出来る事って実は大して変わっていない。確かに Office 98と Office 2013を比べたら便利な機能が沢山追加されてるけど、使っている機能って実はそう多くも無い。まだまだ知らない機能の方が多いかもしれない。

 同じ事が Macintoshにも言える。1990年の当時 30万も出して購入した Classicに搭載されていた CPUは 8Mhzの 68Kで浮動小数点数演算用のコプロは無し。これは購入時に販売店でメインメモリを 4M、そして内臓 HDDを 40Mに交換した後の価格だった。その後、さらに 10万出して 100Mの外付け HDDを購入したっけ。
 モノクロ画面で OSには漢字 Talk、System 6.0.7が動作していたが、実質的には現在のシステムと比較して、取り扱うデータ量は大きくなりはしたが、対して出来る事は大きく変わる訳ではない。Wordや Excelを使っている範囲内じゃ殆ど変わらないって事だ。

 そもそも当時は今の様に必ずしも常時ネット接続というのを前提としていなかったので、スタンドアロン環境という事に限定し、現在のマシンで当時の環境を動かしたら、もしかしたら快適にサクサクと動くのだろうか?
 そもそも OS自身がマルチコア CPUに対応していないけれど、シングルコアでもクロックが 2.0GHzとかだったら本当に当時の 5倍速いのだろうか。当時のゲームをやったら早すぎて反応できない状態とかになるのかなぁ?

 パソコンをゲーム機として見たら 20年前の当時と比較しちゃ逆に可哀想だろう。コンピュータが計算した表現力は 2次元平面から 3次元の立体視、今はさらに VRとなり、まるで現実と見間違うほどに高まっていると認める。映画の世界では、もはや実写か CGかを区分けすることさえ無駄なことだ。
 しかし、パソコンを「ゲーム機」と呼んだ時点で、完全に「おもちゃ」と認めたのと同義となるだろう。それこそ本当に高価な「おもちゃ」と言う訳だ。

 プレーヤー(再生機)として PCを見たら、我々の身の回りにある電化製品のほとんどはパソコンと言える。例えば CDやデジタル WALKMAN、それに iPod等に代表される音楽再生機、あるいは DVDや Blu-ray Discに代表される動画再生機、もしくは PlayStation等に代表されるゲーム機。これらの中身は既にほぼパソコンと同等である。
 そうしてプレーヤーに特化したパソコンが、現在では「タブレット端末」とも呼ばれている。ちょっと前の iPad等は、これ 1台でネット接続をこなし、音楽再生、動画再生、ゲーム機、Web閲覧としての働きをしている。現在の iPad proは Creator用へと変貌しようとしているが、果たして…

 僕に言わせたら「タブレット」にキーボードをつけたら、既に「タブレット」じゃないだろう? って気がするんだけど、ね。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。