犬や猫にも反抗期は有る

 飼犬や飼猫と共に暮らして気がつく事は、彼らは単に人の言葉を話せないから語りかけてこないだけで「彼らにも独自の感情や自意識が有る」と言う事だ。
 中にはそんな事は一切認めずに、自分の飼犬・飼猫なんだから自分が何でも自由勝手に出来て当然だと勘違いしてる輩もいる様子だけれど、ね。(^-^;)

それは発育過程の正常な姿

愛犬に育てよう(その8)

 当然の事だけど犬や猫にも心は有る。自己認識力も有る。きちんと自己と他者の区別が出来るし、他者の持つ愛情・憎悪・恐怖・悲哀等を感じ取ることが出来る。
 かつて「心を宿すのは人だけと信じるのは傲慢である」と、印だか中だかの偉大な詩人が言った気がするのだが、僕の記憶違いかも知れない。ただ今はどうか知らないけれど、少なくとも欧米諸国に住んでいたであろう、かつての「白人至上主義者」なら、こんな禅問答的な意識は全く無かったとだけは解る。

 僕が思うに、犬や猫にも成長するに従って「反抗期」とも呼べる時期が、少なくとも 2回は有る様子だ。これらを人と同じ様に「第 1次反抗期」と「第 2次反抗期」と呼んでも差し支えはないだろう。
 もちろん個体差が有るので、イツからイツイツまでと明確な時期を説明するのは難しいが、大まかに 1年齢未満で起こる反抗期を「第 1次反抗期」と呼び、大体 1年齢半から 4年齢の間に起こる反抗期を「第 2次反抗期」と呼ぶ事にしよう。

 前日まで素直に言う事を聞き、喜んで指示に従っていた飼犬が、全く指示を事を聞かなくなるから飼主は戸惑う。ある人は怒り出したり、自信を失い飼い続ける気力を無くしたり、知らないでいたら、きっと悩むと思う。
 しかし、これが本来あるべき飼犬の素直な姿であり、きちんと発育している証しなのだから飼主は自分の育て方に自信を持っても良い。飼犬の成長した自然な姿だと前もって理解していれば余裕を持って対処も出来る。

 それまで「おいで」と言うと喜んで飛ぶように駆け戻って来てた生後 6 〜 8ヶ月の子犬が、急に戻ってこなくなったら「第 1次反抗期」中だ。自己を意識し、独立心が芽生え、自分に出来るのが何かを試行錯誤してる。
 それまで仲が良かった同じ年頃の犬に唸り声をあげて牽制するようになったら「第 2次反抗期」中だ。犬同士の縦社会における自身の立ち位置を確認している時期でもある。もしも慣れた歳の離れた犬に対して生意気な態度を取れば、当然ながら子犬の頃には大目に見てもらえた仕草でも、こっぴどく怒られる事になる。

 これら具体的には、人の子が「自己を認識し意識する時期」に取る行動に似た態度でもある事から、これらの経験を経た上で飼犬や飼猫が自己と他者、飼主との関係性を明確に認識し、自ら意図して識別している事は間違いない。
 他にも、我家のアリス・小町・スミレの態度を観察する限り、犬や猫は何度か数回繰り返し鏡を見る事によって、体験的に「鏡に写っている姿は自分だ」と学べる知能もある様子だ。

 元々の性格の違いも有るから必ずしも全ての飼犬や猫が「反抗期」を示す訳では無いかも知れない。臆病な子や、あるいは心が弱いために飼主への依存が強い子だったら、明確な反抗期を感じられない事もあるだろう。
 まぁ確かに僕のこれ迄 55年間の短い体験の中でも、自分の飼犬や飼猫なら何でも意のままに出来ると勘違いして、意にそぐわないと烈火のごとく怒り出し他の人や物に当たり散らしていたヒステリックな方も居たけれどさ…

 飼犬や飼猫を相手にしてる時の態度だけならまだマシで、親だったら自分の子供を意のままに出来ると信じてて、ちょっとでも違ったら手のつけられなくなる大人も居た。
 幸い、そのような極端な事例は TVや新聞の中だけで僕の身近には存在していなかったけど、それは単に僕自身が気が付いて無かっただけかもしれない。

 そう言った例は知識のない昔の方が多かったと思うけど、だからと言って心の在り様が今の人と昔の人とで大して違っている筈もなく、男性・女性、金持ちや貧乏人に限らず、自分勝手で我が儘で高圧的な人間って、どんな時代にも一定数は存在している。ワザワザそれに「サイコパス」とかラベルを付けて区別しようなんて気は僕には無い。
 人の姿をした「バケモノ」は、いつの時代でも少なからず存在しているし、それを否定しても始まらない。ラベリングする意図は「差別じゃなく区別だ」等と言訳するのだろうけど、いかにも一日中 WEB上を徘徊している自称、差別嫌いの「言葉狩り狂信者」が好きそうな言葉さぁねぇ。 (^-^;)

 仮に標的にされたとしても、僕個人には社会的な地位も名誉も金も何も無いし、リアルに僕を知る友は WEB上の噂だけで僕を断罪する人は一人もいない。
 僕の知らない人がネットの向こう側で僕の事を、勝手にあゝだこうだと批判しようが僕自身は痛くも痒くも無いし、結局のところ僕自身が失う物は何一つも無い事になる。

 九州の片田舎に住む一個人相手では旨味も無いだろうから標的にもされないのだろうけど、そんな心配するくらいなら最初から WEB上に、自意識の垂れ流し的な文章を掲示したり、そもそも自分で自分の住所・氏名・年齢や顔写真まで掲示したりはしてないだろう。
 わざわざ、変な所に入り込んで探さなくても、このブログ内にも何度も何度も掲示してる。未だに TVとかで有名になった事が無いのを見る限り世界中の誰からも相手にされてない。そうそう暇人は居ないって? (^-^;)

 自分の言葉。もとい自分の考えや意識を匿名性に隠れ、無責任に言いたい放題で逃げるつもりはない。少なくとも僕は、自分が発した意見や考えに対しては、必ず自分自身で責任と義務を負うべきだと考えている。
 そう考えているからこそ日本国憲法第 21条で権利が保証されている「言論の自由」の下、清々堂々と自分の言葉を発しているつもりだ。

 だからと言って誰に対してでも、自分の意見を無理やり押し付けて通す気はさらさら無い。読みたくは無い人に対しても、一応この様に文字色を白に変え最低限度の配慮はしている。ホント、最低限度だけどね。

 わざわざ「言葉」を探し出し表示して記事を読む人は、最初から悪意、もしくは敵意を持った人か、こういった事に元から意識が向いている人、あるいは僕の事を良く知っている人だったら隠れた文章にも気づいているだろう。
 僕には「ネット上の匿名性の陰で言葉の暴力を振るう」意図は全く無いけれど、自分の信念と熟考した上で意見を発したいと考えている。だからこそ自分の名前や顔を隠す必要は無いと判断した上で公にしてる。

 僕が WEBを怖いと思ったのは数年前に、数件の記事が他所の個人匿名ブログ内で僕に一言の断りの連絡もなく、参照の明記も引用の記述もなく無断で勝手に内容が丸ごとコピーされていた事を知った時くらい、かな。
 恐らくはアフリエイトかなんかの目的で、無理やり毎日サイトを更新するのに勝手に持って行ったのだろう。まとめサイトとかじゃなく、記事が丸コピーだったから驚いたんだ。

 そんな事してて何が楽しいのか理解に苦しむけど、それを知った 1年くらい後に丸コピーサイト自体が跡形もなく消し去られてたっけね。
 今も記事内容の丸コピーサイトは消えた 1箇所だけじゃないと知ってるけど、直接被害にあってる訳じゃないから静観、放置してる。何にも言われないから僕らに気づかてれないと思っているのは「当の本人だけ」だろう、ね。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。