ヘッチャラ ❤️ な訳じゃないけど…

 我が家の住人は夏なんて何のその、暑いのだってヘッチャラ? 熱中症なんて、ならないよ〜 ♪
…んな訳ないじゃん。犬だって猫だって、あまりに暑けりゃ熱中症にはなるよ。(>,<;)
 そもそも僕自身がクーラやエアコンが苦手で自宅では全く使ってないって事ものあるけれど、家の中に居るよりも屋外の方が涼しいのも、また事実だったりする。

地元の四季を楽しもう

愛犬に育てよう(その9)

 きちんと必要量の水分を体の中に補給をしていれば、旧の生物用語「恒温動物」である人や犬や猫の体温は、外気温に左右される事もなく一定内に保とうとする生理的な代謝能力が元々備わっている。
 もっと気温の高い熱帯や亜熱帯地方、半年間も厚い氷に閉ざされた寒い地方であっても屋外で過ごせる適応力が人や動物にはある。

 宮崎市内に建つ家の中なら高々 35℃前後、体温までなら順応できる。さすがに 40℃を超えたら日常使っている服装じゃ無理だと思うが。
 自分が家で作業してる時は、できるだけ時間に合わせて日陰を選んで移動させたり打ち水したり、定期的に新しい水に入れ替えたりと、一応それなりに気は使ってるツモリだけど。時には一日中外で留守番させるって日もある。
 幸いにして近所の方が、こちらから何も言ってなくても日陰への移動とかを手伝ってくれる。ってか、必要以上に頼ってる処もなきにしもあらずって奴になってるかな。

 クーラーやエアコンの有る生活で日常的に汗を出さなくなったら、水分を摂らなくなった人々が家屋内で熱中症にかかっているってのは事実で、これが昨今を賑わす事件でもある。
 実態は必要量の水分まで摂るのを忘れ、脱水症状で動けなくなった人の体内温度が高くなった結果というだけ。
 室外内の風通しを良くし自分自身で麦茶やスイカ等々、水分を摂っていれば熱中症なんて未然に防げる。
 体内に備わった生物本来の適応力を発揮させないままに退化させるんが文明の在るべき姿だと言うのなら、僕に言わせりゃ「そんなもの糞食らえ」だ。

 殆どの人が忘れてしまっている様だけど「家の造り様は夏を旨とすべし」と「徒然草」第55段にも書かれている、古代より先人から脈々と受け継がれてきた日本人の知恵。人の住まう家は「かくのごとく在るべき」と僕は考える。
 どこぞの大学で教授なんてやっている、お偉いさんや有名な建築設計事務所なんかは、強力なエアコンがある事を大前提に「冬を旨として家造りすべきだ」と述べているけれど、ね。

 僕自身、必要以上の電化製品に頼る生活って、どこか異常だと感じる。昔から「エネルギー保存の法則」ってのがある位だから放出された熱は必ず何処かに残って溜まり続ける。人が歪めた大自然、その捻れたエネルギーの反動は必ず人に返って来る。局地的なゲリラ豪雨など可愛いもんだろう。
 地球温暖化問題など一例に過ぎないし、眼にもはっきりと見える分「警告」として、ほぼ最終通達に近い物と感じている。

 だからと言って、わざわざ直射日光の下に素足で出歩くほど僕も酔狂者じゃない。いくら地元の四季、夏の暑さも冬の寒さも在るがままに受け入れて楽しもうって言っても、自ら限界に挑む必要はないと思う。
 窓辺にヘチマで緑のカーテンを作ったり、西側の壁に「よしず」を立てかけてみたり、庭に「藤棚」を作ったり、家の南側に木陰を作る木を植えてみたり、夏を少しでも涼しく過ごす知恵は昔から沢山伝えられている。

 TVとかでの「我慢大会」では責任者がいて監視してるから大丈夫なんだろうけど、暑い日なら日陰や涼しい場所を求め、あちこちと移動した方がいい。
 風も吹かない気温 35℃を超えるような日は、いくら家の中が暑くても中の方がマシだって事もある。どうしようもない時にはクーラーのある建物内に避難するのも必要だろう。

 僕だって何も全ての文明の利器を完全に否定する気は毛頭無い。行き過ぎ、使い過ぎが良く無いと考えてるだけであって、せっかく発明された便利な道具は、大いに活用すべきだ。
 但し限度や節度って大切だと考えてる。遅れてきた、たった 1〜 2人の不満を解消するために余分な食料廃棄物を増やすメーカーの態度も変だが、買い損ねた事を他人の責任にする消費者の態度こそが変だと考える。少しの知恵を出すだけで凌げるものならば、わざわざ無駄なエネルギーを消費する必要なんて、何処にも必要ない筈だ。

 犬や猫は誰に教えられた訳でも無いのに、直鎖日光を避けるために駐車場に置いた車の下に潜り、土を掘っては涼を探す。暑い夏を、どの様にやり過ごせば良いのかを本能的に知っている。自分で涼しい所を探して、そちらへ移動したりもする。
 もっとも、どうやら深く掘りすぎた様で、最近は雨水が貯まるまでになってしまった。このままではマズイので、ちょっと冬の間に埋め戻しておかなくてはならないか、な。

 犬や猫と異なり人間の場合、ほぼ全身の体表に汗腺があるのだから汗をかくのは必須。気化熱で体温を奪い温度を下げるという働きと共に、老廃物や毒素を手っ取り早く皮膚から外に排出するという役目を担っている。
 汗を出すのは体内における自浄化機能とも言えるから、そもそも自然と身体から出る汗を無理に抑えるというのは本末転倒な行為だとも言える。当然、肌荒れの原因にもなるだろうねぇ。

 まるで TVやラジオで流される CMでは、さも汗や油が悪であるかのような表現こそ間違ってると僕は考えている。そんなに化粧が崩れるのが悪いのか?
 そもそも汗で崩れてしまう様な化粧こそ悪だろうと考える。必要以上の化粧は、もう化粧とは呼べず「化ける」とか「変装する」と言った方が正しい気もするのだが?

 化粧を落としても、ほとんど顔形や印象が変わらない程度の薄化粧と呼ばれるので十分なんじゃないかって、男の僕から言わせりゃ、そう考えるのだけども。余計な物を素肌に塗り、それを自慢する感性など解りたくも無い。
 お化けは自称「芸人」か自称「魔女」に任せておけばイイ、そこに技能が有るか美しいかってのは別問題。一般人が、それを真似する必要性なんて本来はない筈だろう?

 まぁいい。自分では無い別の何かに化けるためにする化粧なんて実はどうでもいい話だ。彼らや彼女達は、化けたのがバレるのが困るから汗が出ぬ様にエアコンをつけるのだろう。
 その煽りを食らってか、室内で留守番させられる犬猫が大多数なのだろうからエアコンも必須なのかもしれない。けれど、この頃の風潮は行き過ぎ「あまりに過保護すぎるんじゃないのか?」なんて感じたりもする。

 自然の理を無理に捻じ曲げれば、いつかバランスを元に戻そうとして無理に曲げられた力が解放さえる。地表近くの空気が熱せられれば、その周りの空気に渦ができる。対流が起きる。
 上昇気流が起き、上空で急速に冷えた空気中に含まれた水分は氷になる。積乱雲ができる。にわか雨、通り雨、夕立が降る。地表の温度が下がる。そうやって熱くなった地面を冷まし元に戻ろうとする。バランスを取ろうとする。

 自分さえ良ければイイという身勝手が、涼を電化製品に求め無秩序に室外に温風を吐き出した結果、ゲリラ豪雨を呼ぶのだと余程の大バカ者でもなければ気がつく。知らんふりする輩に原発廃止を叫ぶ権利は無い。
 その程度の知識など、誰でも小学校の理科の時間に習っている。知らないとは言わせない。習っていないとは言わせない。授業を聞かなでいた己の無知を先生や他人になすりつけるのはいい加減やめる事だ。

 自然界では、例えどんな小さな物でも常にバランスを取ろうとする。直ぐには戻れなくてもギリギリまで耐え続け、耐えられなくなった時点で元に戻ろうとする力が必ず働く。それが当然、それが自然。
 今までが大丈夫だったから、これから先もずっと大丈夫と言う保証は無い。「無理が通れば道理がひっこむ」のは未来永劫まで保証されている約束は無い。長い間に溜めたツケは、必ず支払わねばならないのだ。

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