敬老祝賀会

 先日の敬老の日、地区の「敬老祝賀会」が行われた。前日、台風 18号が通り過ぎたので準備ができず、当日は 9時 30分に集合しての準備だった。祝賀会は 11時から 1時 30分までの予定だったが、実際には 2時過ぎまで。
 その後、役員は反省会と名を打って午後 6時まで、通常は 3時までなのだけど、ちょっとばかり内輪でガス抜き。皆さん、不満やら何やら色々諸々と有った様で、ちょっと発散したかったみたい。

 年々、参加者が増えていくのは喜ばしい事なのだが、行政は丸投げしているのに無茶振りはする、指示要求する。金は出さずに口は出す。年追う毎に自治会の負担が増えてくるのは憂うべき事。本音を言えば…
 言明すれば「自治体は行政の下請けでも、下部組織でもない」そこんところ行政にはっきりとさせないといけない所まで追い詰められているような気がするのだが、まぁ現実には、 …誰も何にも言わないんだろうなぁ。

 過去、自治体の下地を作ったという肩書きだけの役員さん、行政からの天下りみたいな人選だったからね。会合の度に、現職の頃の役職自慢ばかりしてたし、実態は名を変えた「飲み会」的な会合。
 その後を引き継いだ地元の現会長も、中身のない無駄な集まりばかりで困っている様子。歴代ずっと金遣いの荒い連中による「飲みにケーション」ばかりだったのだろうな、というのが簡単に予想できる。

 獣数年前の自治体の給与を知ってる上に、上がっていても下がっている事は絶対にないとわかってるし。昔から、行動力はないくせに口先ばかりで、平気で丸投げをして民間に責任を押し付けてくる行政役職人員に対し、僕自身は不信感しか持ってないのは事実。
 僕が選挙で選ん人々ではないが、選挙の結果で我々国民が選んだ行政執行部なのだから、日本国に住んでいる限り逃れようは無い。今の世に不満があるなら自分で立ち上がり改革し「より良く」しろって事かしらん。筋肉頭の短絡思考で武力行使のクーデターを起こすのではなく、フランスの大統領選みたいに既存の政党の枠組を飛び越えて、日本を救うヒーローになれって事なのかしらん。

 何れにしても今のままじゃ、財政的に国政が破綻するのは目に見えている。自分の事しか見えてない輩には、全く何も見えてはいないだろうけれど、ね。
 見るに堪えないから目をそらすのか、興味がないから知らんぷりか、仕方ないで諦めるのか、なるようになれと放置するのか、行く末を見守るだけで何も手出しをしないのか。それぞれの立場は違えども「何もしない」という行動は同じ。だったら結果に対して等しく責任を取らねばならないのも、また同じだろう。

 だからと言って何ができる。自分の眼の前の問題を片付けるのに気を取られて、興味のないふりをして、何もできないふりをして。否、実際、現実に何も出来ないのだけど。
 僕に言わせれば、今のままでは日本は、空中分解をしてしまうだろうって事だ。自国民を置き去りにして、消費税を上げる事ばかり考えている。人気取りのために金を世界中にばらまき、借金を重ねながら湯水のごとく使う事ばかり考えている行政、 国債を発行するばかりで、単に将来へ支払いを遅らせているだけの行政。今しか見てない、自分たちの利益しか見てない、将来の行く末なんて何も考えていない。普段の行動からは、そんな風にしか見えないから、今の政界にいる人員に対し希望を見出せない。

 そんな輩が首長だから、その下で働く公務員にはサービス業の認識がない。自覚がない。お役所仕事と言われる所以である。とても給与分の仕事をしているとは考えられない。
 これまで散々、下働きさせられて仕事を丸投げされてきた。行政、役所と共に仕事を 20数年間してきた体験では、そう感じるだけだ。

 で、搾取されるだけ搾取されて、これまで何か見返りがあったかというと、全く何もない。この 10年間、収入が全く無くても搾取されてるだけ。一昨年、去年は。何とか年に 60数万円の収入があったが、ほぼ 6割をに近い額を搾取されてた。泣けなしの蓄えで 1年をしのいだに過ぎない。これで年金支給を 75歳に引き上げられ日には、僕に「今の世に不要な人間だから死ね」と言っている訳だろうなぁ。
 生活保護を受けている輩の方が、僕よりも収入は多く、手取りも多い。何もしていない輩が贅沢をして、必死で仕事を見つけて、何とか生きている人間からは搾取する。それが、今の世の平等というものらしい。

 期待しちゃいけない、希望を持っちゃいけない、立ち上がるには障壁が多すぎる。諦めてさっさと自殺してくれって事なんだろうなって言われているのと同じ事だ。
 そうすりゃ人口は減るし、昔を知る人間も減るし、口うるさい人間も減る。いい事づくめだと考えているのだろうか。

 おそらく僕ら昭和 30年代のクロスオーバー世代が居なくなったら、親から聞いた戦前と戦後、昔の話を知る人間は全くいなくなるだろう。詰め込み教育の実験や、家庭内暴力、バブル経済の後始末を押し付けられた世代だ。
 実際 3年おきに教育改革された実験の世代だ。おかげで頭でっかちになったけど、その負荷に耐えられたのは、家庭内での厳しい躾や、代々続く家のしきたりがあったからに他ならない。

 事実、今もカリスマなどと祭り上げられている「尾崎豊」の生まれた昭和 40年代以降は、我々と同じ教育内容を受けても、その負荷に耐えられずに家庭内暴力、学級崩壊、その反動で、ゆとり世代などと数々の問題を引き起こしている。家庭内が共同体で無くなった結果、受け皿で無くなったからであろう。
 子にとって親が「親」では無くなったのは、親世代を受け止めるべき共同体である筈の家庭が、一方的に行政により解体させられたからに他ならない。

 社会の最小単位である筈の家庭、その関係性が崩壊した結果が、今の社会である。と、僕は感じている。それを壊したのは現在のような一極集中を推し進めた行政。時の政治家の意向である。と、僕は考えている。
 その結果、電源が切れたら簡単に止まる、非常に脆い国ができた。心のつながりを失い心の拠り所を失った、迷子のような人間ばかりが増えた。自分の頭で考えることさえ止め AIに判断を頼るような、まるで人であることさえも放棄しそうになっている現在の人々の姿。これが、来る未来の姿だとは信じたくはない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。