続けざまに週末台風

 こりゃ多分、先週から明日に順延されてた「地区運動会」も今年は中止になるだろうなぁ。
 残念だけど、この雨風じゃ仕方ないでしょうねぇ。今のところ会長さんから、まだ家に連絡来てないけど恐らく昼前には結論出るっしょ。
 地区の役員になって初めて運動会が中止になる。去年は順延になったけど無事に開催されたからね。

 ちょうど 1年前に我が家に住み着いた子猫もイタズラ真っ盛りに成長した。
 今朝も雨が小降りになった際、犬の散歩に出ようと準備していた隙をついて玄関の扉からダッシュで脱走。

 雨の中を探しに出てみれば、他所の車の下に潜り込んだまま出て来やしない。ワル知恵がついたのか昨夜も留守中イタズラして、僕に怒られる前に逃げ出した。どうやら今朝も夜中にイタズラしてて、怒られる前に外へ逃げ出す様な変な癖がついたらしい。
 怒られると自覚があるから、その前に逃げ出す。つまり怒られると解っていながら、そういった問題行動をする。もちろんイタズラしている最中は楽しいからなんだろうけれど、どうやら怒られても怒られても「屁」とも思わない「ふてぶてしさ」が、我が家の犬や猫にはある。

 いちいち面倒でも飼主である僕が怒って、やってはイケナイ事と良い事との区別を知ってもらわなければならないから怒る、否、叱る。
 少し成長して心身共に落ち着いてくれば、叱られる事はしなくなるが、その前に「してはイケナイ事」は叱って、ダメな事だと覚えてもらわねば幾つになっても止める事はない。

 動物の場合、放任してて自覚が出来て自然と止めるなんて絶対に有り得無い。そもそも犬猫には人間社会もとい、我が家のルールなんて僕が教えなければ、元々彼らは知らないのだから善悪の区別がつくわけがない。
 飼主として、我慢強く繰り返し教えるからこそ「訓練」として犬や猫の身に付くに足りえる。だから一般に強く言われている「躾」とは意味が違う。って言うか、本来の意味である「仕付」の意味に近いかも知れない。

 着物を作る際に、あらかじめ「仕付け糸」で型を整えられたなら、完成後は外されるもの。つまり「しつけ」とは本来、自覚を持って立ち振る舞いを行う前に、その基準を身につけさせる事であると、僕は考えている。
 犬猫にも自覚があり自意識がある。しかし、そこには善悪を含めて判断すべき基準は無い。しかるに成長してからも自己中心的では社会的な悪となる可能性がある。それでは人社会の中で生きて行く場合、本人が困る事になる。

 皆に等しく在る同じ命ならば、誰からにでも愛され可愛がられる対象で有って欲しい。そのためには人にも自分にも素直で有って欲しい。
 しかし、例え「自分に素直」であっても「悪い事」は悪いのだ。決して「自分の心に素直」な事と「欲望に忠実」な事との意味を同じに見てはイケナイ。

 性善説を唱える方は「自分の心に素直」に生き、一方の性悪説を唱える方は「己の欲望に忠実」に生きる、と言う違いがある。
 一見、同じ様でも概念は全く違う。それは行動した結果、自分以外の誰かと一緒に幸せになるか、誰か犠牲の上に立ち一時的に得した様に見えても結果的に自身も不幸になる、という違いとなって現れる。

 最近、僕自身も興味を持って学んでいる ACIMでは、これを「精霊と共に歩く」か「エゴと共に歩く」かの違いとして表現している。
 恐らくは世に在る多かたの宗教、神道や仏教、キリスト教でも言っていることは同じで基本的には「感謝の心」を持って日々を過ごすか否か違いだが、それが「仏」や「神」として実体を伴って自身の「外側」に置くのか、自身や他者の「内側」に見るのかという違いがあるらしい。

 最終的には「心豊かに生きる」のが望みなのか「心静かに生きる」事の一体どちらが望みなか、みたいな所が実家で納めている曹洞宗でいう「禅」にも通じる所があり、僕は面白いなと感じた。
 多分「鋼の錬金術師」が好きな人なら、好みかもしれない。

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