出来て当たり前なんて、一つも無い。

 以前にも話題にしたが、僕自身は「躾」という言葉の響きが大嫌いなので「訓練」或いは「トレーニング」と言う様にしている。今までに学んだ事を何回かに分け、改めて纏めておく事にした。
 ちなみこの画像は 10年前の 2007年の物。飼犬はアリス 1頭だけで、子犬も産んでいないし、小町もスミレもいなかった頃のものである。こうして改めて見直しても、さほど今も印象が変わっていないように感じるのは気のせいなのだろうか?

本気で喜んで、誉めよう

トレーニングしよう(その1)

 動物には言葉が通じない代わりに、感情や心の動きがダイレクトに伝わると考えてて間違ってはいないと考えている。
 怒っている、悲しんでいる、落胆している等々、そんな些細な心の動きも全て動物にはストレートに伝わっている。だったら包み隠さず、素直に表現した方が良い。
 だから飼犬のしでかした事で、本気で怒っていたり、本気で落胆していたら、その心を顔の表情や全身の動作で明確に伝わるようにしよう。
 喜んでいる時も、例えば 2〜 3歳の幼児に接する時の様に、多少大げさな「オーバーアクション」でもって飼犬に伝えよう。

 当然の事だけど、犬は人間社会の事なんな何も知らない。人の発声する「指示語」や「指示動作」の内容も意味も何一つとして知らないし判らない。そもそも最初から出来なくて当たり前なのだ。
 それを知った上で、もしも飼犬が飼主の「指示」に従ったなら、どんな簡単な動作だったとしても、実は凄い事なんだという事が理解できるだろう。

 基本的に飼犬とは、飼主の喜ぶ姿を見て満足を得る動物のようだ。それによって自身の存在意義や存在価値を認められたと感じている様子だ。
 逆に、飼主を落胆させる事、悲しませる事と、途端に不安を覚える様子。さらに自身の存在を否定される事が一番辛い事の様だ。

 それゆえに飼主が喜ぶ事だったなら、自分の身を粉にしてでも喜んで欲しい。飼主の笑顔こそが一番のご褒美だと感じている。どんな贅沢な食事だって、高級なおもちゃだって、美味しいオヤツだって、飼主の笑顔には敵わない。
 飼主の喜びを自分の喜びとして感じている。それが本当の飼犬の姿だ。よって訓練にオヤツが必要なのは子犬の時だけである。成犬を訓練する際にはオヤツは不要である。一番最後のご褒美にあげる程度で充分。

 飼主と飼犬との間にある心の絆さえあれば、飼主の一喜一憂が、そのまま飼犬にとっての「飴」であり「鞭」なのだから、これを使わない手はない。
 飼主が喜んでいるのなら、その事を飼犬にきちんと伝わるために、飼犬が分かるように少し大げさに伝えて欲しい。本気の心で伝えて欲しい。

 彼らは、どんなに年月を重ねても絶対に人間にはなれないのだから、人間の言葉を理解しているワケではない。飼主が喜ぶからこそ嬉々として「指示」を覚え、それに従っているだけなのだ。
 だからこそ、飼犬が何歳になっても、どんなに歳をとったとしても、飼主の「指示」に従ったのなら、心から本気で褒めてあげて欲しい。
 

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