DUNE 2

 先日 1日に友人と映画「デューン:砂の惑星:パート2(原題:Dune: Part Two)」を観てきた、

 前作はコロナ渦で公開が延ばされたけれど、今作もストライキの影響で公開が半年ほど延びているそうな。

 観終わった時、原作を 1/4ほど残して終わってるのかなって感じた。原作「砂の惑星」4冊めの最終章でヒロインであるはずの「妹」が出て来なかったものね。って事は、まだ続き「パート3」があるのかも?
 だとすると続刊「砂漠の救世主」まで含め主人公ポールの最期まで描くのか? ラストで恋人のチャニがポールから離れたから「砂丘の子供達」までは続か無いだろうし… にしても、そういった作風なのか思いのほか長かった。今作で残念ながら最後の方で間延びしてる感じがして眠くなってしまったよ…

 前作が 155分、今作は 166分。その差 11分の違いなのに今作では後半で眠く感じた、何故だろう。不思議って言えば不思議。もしかして僕が歳をとったからなのかもしれない…
 そういった意味では映画観るのも体力いるからねぇ。確かにそういった面も否定できないが、おそらくもう半分は監督の意図に誘導されているんじゃなかろうか。

 前半は面白かったのに、後半が眠くなってしまった映画って言えば「アラビアのローレンス」だったかしら。そう感じだすと、なんか作風も似ている気がする。砂漠が舞台で権力と争ってるって所も似てるってのも気のせいか?
 否、強いて言えば、似ている部分とは「物語の本筋」の方だろうけどな。前半が巻き込まれながらも主体的に行動し生きている。逆に後半は「造られたイメージに抗って」行動するのにも関わらず、自身の意思に関わらずに敷かれ造られたイメージに不本意にも流されてしまう部分とか。
 あれ? そもそも「原作」がそうなんだよな? あれれ?

 他所からやって来た異邦人である主人公らが「救世主」として「原住民」と圧政から自由と独立を得るために立ち上がり共に戦う。当初は自らの意志で行動してたのに、やがて裏で暗躍する組織に預言者のイメージ、広告塔として利用されている事に気づいて抗うも結局、止まらなくなった民衆の願いと激流には逆らえず流されてしまう。
 結局は自分とは関係無い権力抗争にまきこまれ、自身も望んでいなかった戦いの渦中に身を投じて行く。

 うん、同じだ。あれれ? 作品としては「アラビアのローレンス」の映画の方が「砂の惑星」の刊行 1965年よりも 2〜3年前の公開だったよな? うむむ…
 そうか「砂の惑星」って、舞台を未来宇宙へと移した「アラビアのローレンス」だったんだ、初めて気づいた…

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